カフェオーレの「穴」、復活したのはいいけれど
江崎グリコの「マイルドカフェオーレ」、私も昔から愛飲しております。
毎日飲む、というほどではないですが、時々思い出したように飲みたい欲求に駆られるのです。
あの甘さが、疲れている時にちょうど良いのだと思います。
そんな愛すべき江崎グリコの「マイルドカフェオーレ」。
500ml入り紙パックにはストローが付いていて、それを紙パック上部の中央に設置されていた「穴」に差し込んで飲む、という形式だったのは、誰もがご存じなはずでしょう。
ストローは三段式で、手で引っ張って伸ばすタイプ。
こういうちょっとしたギミックが、アラフォーオヤジの少年心を刺激してくれました。
力を入れ過ぎて繋ぎ目が抜けてしまい、絶望に沈んだことも一度や二度ではありません。
そんな愛すべきストローと穴が、紙パックから消えたのは今年の春のことでした。
購入した時には気付かず、家に帰っていざ飲もうとした時にストローがないのに気付いた私。
時々接着が甘かったのか、ストローだけが外れてしまっていたこともあったのでそれかな、とも思ったのですが、それにしては接着されていた跡すら見当たりません。
そして、パッケージに「ストローの添付はしておりません」の表記を見つけてしまった時。
さらに、一番の特徴とも言える「ストロー穴」が無くなっているのに気付いた時。
私の中ではさまざまな感情が駆け巡りました。
驚き、悲しみ、寂しさ……。
これは、帰宅した時にテーブルの上に離婚届がそっと置かれているのに気付いてしまった時の感情と似ているのではないでしょうか。
幸いにも私はそのような経験はありませんが。
仕方がないので、普通の紙パックのようにサイドから開いて、そこにストローを突っ込んで飲もうとしたのですが……コンビニ店員さんがストローを入れ忘れていました。
おそらく、店員さんも「マイルドカフェオーレにはストローが付いている」という意識が残っていたに違いありません。
そう考えれば仕方がない話です、店員さんを責めることはできません。
もう、何もかもが残念な気持ちになった私は、直接紙パックからマイルドカフェオーレをラッパ飲みしたのでした。
いつも通り美味しかったのです……でも、何かが違うという思いを拭い去ることができませんでした。
それ以来、どうもマイルドカフェオーレには手が伸びませんでした。
味は好きなのです、しかし「ストローが付いていない……」と思うと、なんだか損した気分になってしまうのです。
まさか、自分がそこまであのストローに依存していたとは、思ってもいませんでした。
しかし、なくなってしまったものは仕方がありません。
大人の余裕でようやくそう割り切れるようになり、心の傷も癒されてきたと思われるこの時期になって、全国のマイルドカフェオーレファンを震撼させる情報が飛び込んできたのです。
「マイルドカフェオーレの穴、復活」
朗報であるはずです。
喜ぶべき知らせであるはずです。
しかし、そこには大事なものが失われたままでした。
そう、ストローは、あの愛すべき三段式ストローは、戻ってくることはなかったのです……。
正直、穴だけ復活してくれても……という気持ちです。
「穴が復活したなら、そこにストローを刺せばいいじゃない」と思われるかもしれません。
しかし、この「穴」にジャストフィットするストローでなければ、意味がありません。
以前添付されていたストローは、穴にピッタリとはまってくれました。
わずかな隙間も見逃さない、というストローの密着感は、カフェオーレとそれを飲む人間を優しい一体感をもって包み込んでくれたのです。
もし穴とストローの間に隙間があれば、余計な空気がカフェオーレと飲む人間の蜜月関係を阻害してしまうことでしょう。
三段式ストローのない穴の復活など、中途半端としか言いようがありません。
とは言っても、ストローと穴が廃止されたのには「原材料の高騰による経費の削減」という、あまりにも抗いようのない理由があります。
たしかに、一つ一つの紙パックにストローを付けるのは経費もかかることでしょう。
個人的には、内容量を多少減らしても構わないからストローを復活させてほしいと考えています。
あの三段式ストローとストロー穴という個性、それがあるから、幾多の紙パック飲料が置かれたコンビニの棚の中でもマイルドカフェオーレは輝きを保っていたのです。
せっかく長い間持ち続けていた個性を捨て、凡百の飲み物となってしまっていたマイルドカフェオーレ。
そんなマイルドカフェオーレが再び輝くには、「穴」の復活に続けて「三段式ストロー」の復活にある、と私は全力で提言するものであります。