力士の四股名、もっと伝統的な名前を継いでもいいんじゃないか問題
明日から大相撲九月場所が始まりますね。
最初、なぜか「七月場所」と打ってしまいました。
自分の中に謎の二ヶ月間もの空白期間が存在しているようで驚きました。
毎日あまり刺激も、代わり映えもない生活を送っている弊害でしょうか。
少しだけ落ち込みました。
それはともかく、九月場所が始まります。
舞台は東京・両国国技館。
鶴竜の連続優勝か、日本国籍を取得した白鵬が意地を見せるのか。
それとも横綱以外の誰かが優勝を奪うのか。
大関カド番の豪栄道、栃ノ心は大関の地位を守れるのか、二場所連続負け越しで関脇に下がった貴景勝は十勝して大関に返り咲けるのか。
などなど、注目する点は多々あります。
私は国技館にまで相撲見物に出掛けるほどの熱心なファンではありませんが、テレビ桟敷で観戦できる時には観戦しようかと思っています。
とは言ってもなかなかリアルタイムで観戦するのは難しく、ネットで結果だけ知るか、深夜の「幕内の全取組」を見るか、というくらいなのですが。
それにしても、最近は力士も皆、個性的な四股名を名乗るようになりました。
それはそれで時代に則したものですし、わざわざ「初代」とか「二代目」とか付けずとも誰のことを言っているのかすぐにわかる、という点でも優れているかもしれません。
でも、「独創的な四股名ばかりではなく、伝統的な四股名を襲名する力士がもう少しいてもいいんじゃないかな」とすこしばかり寂しく思うこともあります。
現在だと、時津風部屋の元大関の名を継いだ幕内の「豊山」、父親の元関脇の名を継いだ佐渡ヶ嶽部屋の十両「琴ノ若」くらいでしょうか。
琴ノ若の場合は親子ということもあり、伝統的な四股名を継ぐ、というものとは少し違うかもしれませんが。
でも、昔から大相撲を見てきた人間にとっては「ああ、あの琴ノ若の息子か。じゃあちょっと応援しようかな」という気持ちにもなれます。
豊山の場合も「この四股名を継いだということは、期待されているんだな」と注目するようになるでしょう。
せっかく国技を名乗り、なかなか長い歴史を持っているのですから、それを活用しない手はない、と思うのですが。
もちろん、それなりの実力がなければ伝統的な四股名を名乗らせるわけにはいかない、という理由もあるでしょう。
力士の方も、四股名を継いで発奮してくれればいいのですが、逆にそれがプレッシャーとなって押し潰されてしまう可能性はゼロではありません。
確かに「お前は明日から双葉山を名乗れ」とか言われても、「いや、それはちょっとキツいっすわ」となってしまう気もします。
偉大すぎる四股名は名乗りづらいかもしれませんが、例えば部屋期待の力士が師匠の現役時代の四股名を継ぐ、みたいな例がもっと出てきても良いと思うのです。
「朝潮」とか「小錦」とか「増位山」とか、伝統的な四股名を名乗る力士に出てきてほしいのです。
「谷風」や「雷電」が令和の土俵に上る姿を見てみたいのです。
昨今の相撲界に関するさまざまなニュース、報道などを見ていると、どうにも力士が個人主義的になってしまっているのではないか、と感じます。
もちろん、土俵の上では頼れるのは自分だけ、個人の実力がモノをいう世界だ、ということは理解しています。
ですが、せっかくの伝統ある業界なのですから、力士たちにも個人のことばかりではなく、もっと相撲界全体のことを考えて、これからも「国技」として愛されるように土俵上を盛り上げてほしい、と一人のファンとしては思うのです。
そのきっかけは伝統的四股名の復活にある、私はそう考えています。