忘れようとしても、思い出せないこともある
現在、フジテレビで『古畑任三郎』を傑作選という形で放送しています。
私はこのドラマが好きで好きで……。
何度も繰り返し視聴したものです。
特に好きなのが、第2シーズンの初回『しゃべりすぎた男』。
犯人役は明石家さんまさん。
敏腕弁護士・小清水潔役を演じています。
古畑任三郎を演じる田村正和さんの相手をスカすような飄々としたしゃべり方と、さんまさんのキャラクターそのままのマシンガントークの台詞回しが非常に噛み合っていて、強く印象に残っています。
特に好きだったのが、クライマックスの法廷シーンです。
この『しゃべりすぎた男』も放送ラインナップに入っていたので久しぶりに視聴したのですが、このラスト15分くらいの法廷シーンの全セリフをほぼ完全に覚えていたことに、我ながら驚きました。
台詞内容だけでなく、息継ぎや登場人物同士の掛け合いのタイミングまで、すべてです。
好きすぎてこのシーンだけでも数十回繰り返し見ましたし、ノートに台詞を書き出していたこともあります。
やはり「書く」という行動は、自分の脳に記憶を焼き付けるのに非常に役に立つようです。
しかし、受験勉強で散々書いて記憶したはずの内容は結構忘れてしまっているので……。
やはり「好き」という気持ちも、物事を覚えるには重要なのでしょう。
ちなみに、今回の記事タイトル「忘れようとしても思い出せない」も、昔視聴していたアニメ『平成天才バカボン』の主題歌『タリラリラーンロックンロール』(作詞/作曲/歌・嘉門達夫)から採っています。
どうやら、こういったあまり役に立つとは思えない記憶で私の脳のメモリーはだいぶ埋まってしまっているようで……。
それをネタにこうしてブログを書けているわけですから、完全に無駄とは言い切れないのですが、もう少し生活の役に立つ知識を貯めておきたかった、とも思います。
ところで、「忘れようとしても思い出せない」記憶、というものは持っているでしょうか。
子供の頃は「思い出せないなら、それはもう忘れているってことじゃないか」と単純に考えていたのですが、アラフォーになった今、人間の記憶とはそんなに単純なものでもないな、と思っています。
普段は思い出せない記憶が、突如としてフラッシュバックしてくることが多くなってきたからです。
しかも私の場合、そのほとんどが「悪い記憶」であるのが性質の悪いところです。
子供の頃に怒られたことだとか、仕事のミスだとか。
そしてそれは、心が落ち込んでいる時にやってきます。
「あんな事があった」と急に思い出され、それに連鎖するようにさまざまな悪い記憶が甦ってくるのです。
そのせいでさらに心が落ち込み、その辺を転げ回りながら「あー!」と叫びたいくらいになります。
しばらく耐えているうちに、次第に平常心に戻ってはいくのですが……あまり気分の良いものではありません。
しかし、平常状態の時に「あれ、なにを思い出してあんなに辛かったんだっけ」と思い出そうとしても、思い出せないのです。
とにかく辛い、嫌な思い出がある、しかしその具体的なエピソードが出てこないのです。
これは一体、どういった心の作用なのでしょうか。
普段は思い出したくなくて、心の奥底で鍵をかけているものが、何かの拍子に溢れ出してきてしまうのでしょう。
人間が積み上げてきた記憶は、そう簡単に消すことはできない、ということです。
「これは覚えておく、これは忘れる」と取捨選択ができればいいのかもしれませんが……それも機械のようで、「人間らしさ」が失われてしまうような気もします。
「忘れようとしても思い出せない」、『平成天才バカボン』の主題歌は、大人になったからこそ理解できる深いことを言っていたのだなぁ、と令和になってから改めてしみじみと感じた次第です。
急にまた一つ、思い出しました。
『古畑任三郎』傑作選の放送は、同作の脚本を書いた三谷幸喜さんの新作映画『記憶にございません!』のPRを兼ねて、のもののようです。
『記憶にございません!』は嫌われ者の総理大臣が主役の映画。
そして三谷幸喜さんと総理大臣と言えば、その昔『総理と呼ばないで』というドラマがありまして……。
まあ、ちょっと内容的には微妙だったな、ということを思い出しました。
本当、無駄なことばかり記憶しているなぁ……。