zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

もう学校で「水からの伝言」とか「江戸しぐさ」とか教えている教師はいないと思うけれど

先日、「筆算の横線を定規で引く」ことを絶対とする教師についての感想をブログに書きました。

そこでチラッと思い出したのが、小学校の道徳の時間に「水からの伝言」とか「江戸しぐさ」とかを教えている問題についてです。

 

もう10年以上前のことになりますので、ご存じない方もいらっしゃるかもしれません。

水からの伝言」というのは、「水に『ありがとう』などの良い言葉を見せてから凍らせると綺麗な結晶ができて、『ばかやろう』などの悪い言葉を見せると汚い結晶ができる」という理論を紹介した写真集のタイトルです。

当然、こんな理論は科学的ではありません。

 

水に言葉を見せたからと言って、凍らせた時に結晶の形が影響を受けるわけがありません。

その理論が成り立つとすると、「水に文字を読める機能と、その文字が良いか悪いか判断する機能と、凍る時にそれを記憶しておいて影響を受ける機能」がある、ということになります。

水にそんな能力があるはずはありませんよね。

 

江戸しぐさ」は、江戸時代の商人のリーダーたちが作り上げた、上に立つものの行動哲学」として紹介されたものです。

道徳の授業に取り上げられたのは、この「江戸しぐさ」が「相手を思いやる行動方式」であるから、です。

 

例えば「傘かしげ」。

雨の日、道で傘をさした人がすれ違う時に、お互いに外側に傘を傾けてすれ違いやすくする行動のことです。

「喫煙しぐさ」と呼ばれるものは、「喫煙禁止」という張り紙が無くても、非喫煙者の前では喫煙を控える行動のこと。

他にも「うかつあやまり」「こぶし腰浮かせ」などなど、たくさんの「江戸しぐさ」がありますが、いちいち紹介するのは時間の無駄でしかないので、興味のある方はご自分で調べてみてください。

GOOGLE先生に聞けば、すぐに出てきます。

 

この「江戸しぐさ」も、後世の人間の創作です。

そもそも、江戸時代の人間が日常的に行ってきた行動のはずなのに、それに対する文献も何も残っておらず、1980年代に突然知られるようになった、という時点で怪しいとしか言えません。

その批判に対しては、「江戸しぐさは口頭で伝承されたために文献が残っていない。そして、明治維新の時に討幕軍によって『江戸っ子狩り』が行われたため、江戸しぐさの伝承が途絶えてしまった」という言い訳がされているのですが……。

そもそも、「江戸っ子狩り」などということが行われていたら、それこそ記録に残っているはずなのですが……。

 

こんな非科学的なものが、道徳の素材として使われていたことがあった、というのですから、驚いてしまいますよね。

あまりにもひどいので、批判を受けた結果、さすがにもう授業の素材として使われてはいないと思うのですが……。

 

「これらを教材として使うのは、子供たちに『綺麗な言葉遣いをする』『他人を思いやる行動をする』ことを教えるためである。よって、事実か事実でないかは問題ではない」という反論がされたこともあります。

しかし、これもおかしな話です。

子供に「綺麗な言葉を使う」「他人を思いやる」ということを教えるのに、わざわざ非科学的な理論を使う必要はないはずでしょう。

 

事実でないことを、あたかも事実であるかのように教材として使うということは、子供たちに嘘をつくのと同じことです。

道徳を教えるのに、嘘をつく……これでは本末転倒、というものでしょう。

教科書にまでしてしまったので、引っ込みがつかなくなってしまったのかもしれませんが……。

誤りは誤りとして認めることの方が、よほど道徳的に正しいのではないか、と思うのです。

 

こういう「疑似科学」的なものは、意外と周囲に溢れています。

一時期流行した「水素水」とか「ゲーム脳」とかもその一種ですね。

これらを一方的に信じるのではなく、反論にも一度目を通し、自分の頭で判断する、ということが必要でしょう。

せっかくインターネットという便利なものが身近にあるのですから、それを利用しないのは損、というものではないか、と思います。