「ちくわ」という無限の可能性を持つ食べ物
ちくわ、好きですか。
私は好きです。
ちくわってスゴイと思うんですよ。
煮て良し、焼いて良し、揚げて良し、そして生(?)でも良し。
家でダラダラとビールを飲んでいて、「何かおつまみがほしいな」と思ったら、我が家ではちくわが登場します。
袋から出して、そのまま齧りつけば、もう立派なおつまみです。
わざわざお皿だのお箸だのを準備する必要がないのも、ちくわのいいところです。
片手にちくわ、片手に缶ビール。
行儀は悪いですが、何よりも後片付けの手間がない点が評価されます。
酔っ払った状態で、調理器具や食器の片付けをするのは面倒なことこの上ありません。
その点、ちくわは袋を捨てればいいだけ。
「飲んだ、食った、寝た」を実現するのにぴったりの食材だ、と言えましょう。
まあ、いつもそのまま食べていては、さすがのちくわも飽きが来ることもあります。
そんな時はちょっとだけ焼いてちょっとだけ醤油をかけたりします。
これがまた美味しいんですよ。
そんなに手間をかけたわけでもないのに、スゴくないですか?
ただ、ちくわの可能性はここで留まるわけではありません。
ちくわと言えば「穴」。
そう、ちくわの穴に何かを詰める、これこそがちくわの可能性を無限のものとする行為なのです。
ちくわの穴に詰めるものと言えば、代表的なものとしてはキュウリとチーズが思い浮かびます。
どちらも細く切ってちくわの穴に詰めるだけ。
簡単ですので、私も時々家で作ります。
どちらかと言えばキュウリの方が好みですかね。
さっぱりとしているところと、ちくわの柔らかさに対するキュウリのシャキッとした歯応えの対比が食感として気持ちがいいんです。
チーズも決して悪くはないんですが……私の中では「永遠の二番手」という感じです。
「ちょっとキュウリだけだと物足りないかな」という気分の時に、一緒にチーズ入りちくわも作って味の違いを楽しむ、という位置付け。
そんな「永遠の二番手」的存在であるチーズ入りちくわですが、これが一気にキュウリを跳び越えてナンバー1に輝く時があります。
それが居酒屋で食べる「チーズ入りちくわの磯辺揚げ」という存在です。
揚げ物って、家ではまずやらないんですよ。
「台所が油で汚れるので掃除が大変」「揚げた後の油の処理が大変」「そもそも熱い油を扱うのが怖い」などなど、私にとってわざわざ家で揚げ物をしない理由は山のようにあります。
天婦羅だのフライだの鶏の唐揚げだの、揚げ物を家で揚げてくれるパートナーがいる方は感謝した方がいいですよ。
そんな訳で、もっぱらちくわの磯辺揚げは居酒屋で頼むものなのですが。
サクッとした衣と熱の通ったちくわ、そして穴からトロッと溢れる溶けたチーズ……思い出しただけでよだれが出てきます。
そして、これがまたホッピーに合うんですよね。
揚げ物全般に言えるかもしれませんが、こってりしたつまみとさっぱりしたホッピーを交互に口に運ぶと、永遠に食べて飲んで、ができる気がします。
たまりません。
ただ、居酒屋で出てくるちくわの磯辺揚げって、切った状態で出てくるんですよね。
私がよく行くお店でも、1本のちくわを4つくらいに切り分けた状態で出てきます。
食べやすいのは確かなのですが、どうせならちくわ1本丸ごとのダイナミックさを一度は味わってみたいな、と。
そこで、一度「ちくわの磯辺揚げ、切らないまんまでもらえない?」と頼んでみました。
店長さんは「まあ、出す前に切るか切らないかだけだから、いいよ」と言ってくれましたが、目の奥で「また妙なことを言い出したなこの人は」という光が輝いたのを私は見逃しませんでした(多分被害妄想)。
そんなこんなで目の前に出てきた丸ごと1本ちくわの磯辺揚げ。
切ってあるか切らないかでこんなにも印象が変わるものか、というくらいちょっとした迫力があります。
本当ならば豪快に手づかみで……といきたいところですが、さすがにお店の中ですし他人の目もありますので、お箸でいただきます。
……つかみにくい。
でも、なんだか妙な満足感があります。
猛獣が肉の塊に食らいついているような、野生の本能が目覚めるような不思議な感覚です。
丸かじりって面白いものですね。
まあ、味はいつもの「チーズ入りちくわの磯辺揚げ」なのですが。
でも、意外な利点も発見しました。
切った状態だと、その切った部分から冷めていってしまってチーズが固まり、トロトロ感が失われてしまうのですが、丸ごと状態だとそれがないので結構な長時間、中のチーズがトロトロ状態のままなのです。
トロトロチーズが好きな方には、おすすめの食べ方かもしれません。
ちょっと食べにくいですし、周りから好奇の目で見られる可能性はありますが。
まあ、美味しいもののためなら、ちょっと変な目で見られるくらい構いませんよね。
居酒屋で恰好付けても、別にモテるわけでもないですしねぇ。