zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

「100日後に死ぬワニ」完結からの炎上について

ここしばらくいろいろなことがあって、ブログに触れることもできませんでしたよ。

急に決まった知人の引っ越しを手伝ったり、ほぼ天涯孤独な友人が急死してしまっていろいろ後始末を手伝ったりしていたんですけどね。

まあ、人生いろいろありますわ。

 

で、久々に最近の出来事についていろいろ調べたりしていたんですけど。

なんか「100日後に死ぬワニ」が完結して、そして炎上している、と。

完結してすぐに書籍化だの映画化だの、そういった商売っ気のあるツイートをしたことで人々の反感を買っている、と。

 

正直、私は「100日後に死ぬワニ」、存在は知っていましたが全然読んでいないので、内容については良く知りません。

たぶん、ワニは死んだんでしょうね、そういうタイトルですから。

その程度の認識です。

 

そんな感じですから、なんか商売っ気を出したことに対する批判かな、と最初は思ったのですが、実はそうではないようでして。

なんか、「完結してすぐに商売的なツイートをされると余韻がなくなる」とか、「死を題材にした作品で金儲け感を出されるとちょっと……」とか。

いかにも自分を正当化する人たちが好きそうな理由が並べられていましたね。

 

あ、こういう言い方をしていることでわかると思いますが、私は批判している人のことを「頭がちょっとアレ」だと思っています。

 

いろいろな芸能人がこの問題についてワイドショーとかでコメントしているらしいですが、でもそのほとんどが「金儲けして何が悪いの」的なコメントらしく。

「そういうことを言っているんじゃない」と批判派からは言われてしまっているようなのですが。

私はそもそも批判している人に対して「創作物と現実の区別がしっかりついていないだけじゃないの?」としか思えないんですよね。

 

創作物の中でワニは死にました。

それを悲しんだり、余韻に浸ることは別にいいでしょう。

でも、現実世界でそれが商売になりました、作品が台無し、というのは違うだろ、と。

 

作品は作品、現実は現実。

「感動的な話だったね」ということと「書籍化映画化etc…」は切り離して考えればいいんじゃないのかね、と。

 

多分、創作活動をしたことがある人としたことがない人でこの辺の感覚は違うと思います。

創作する人にとって、作品はあくまでも作品として完結するものであって、現実世界に影響は及ぼしません。

それは「100日後に死ぬワニ」の作者が、完結直後に普通に広報活動をしたことからも想像がつくのではないでしょうか。

作者にとって、最終話をアップした時点で物語は完結したのです。

物語と現実世界は違うものですから、いくらだって宣伝活動をするのです。

 

ただ、創作物と現実世界の区別がはっきりつけられない人にとっては、その切り替えができないのです。

作品世界と現実世界は完全に陸続きですから、完結直後に商売っ気がある展開になったら「作品の世界が壊された!」と感じてしまうわけですね。

 

そんなことを考えて、今回の騒動は意外と面白いものだな、と感じた次第です。

まあ、ネット上では批難されまくりですが、結局完結後に売り出されたグッズとかは売れているようなので。

ネット上の批判意見なんて、結局その程度のものだろうな、と改めて確認できたのも面白かったですね。

「春の雪」とは言葉はキレイだけど寒くて辛いだけだった

昨日、起きたら雨が降っていました。

そして、異常に気温も低くて。

蒲団から出るのに一苦労でしたね。

 

でも寒いから、と言って家に籠っているわけにもいかず。

ちょっとやることもあったので外出して、用が済んでから喫茶店に入ってパソコンで作業していたのです。

 

ふと気付くと、窓の外の光景が雨から雪に変わっていました。

週の頭は妙に暖かくて「桜の花が開いた」なんて話もありましたが、それがどうしたことでしょう。

地球の気象とは、気まぐれなものですね。

 

まあ、暖かい喫茶店の中から見る雪は、それなりにキレイでもあり。

そう言えば今年はほとんど雪を見ていないから、たまにはいいかな、なんて考えていました。

暖かい店内から雪を眺めながら冷たいアイスコーヒーを飲む、なんてのもなかなか乙なものです。

よく「冬の寒い日に部屋の中をガンガン温めて、暑いくらいの中でアイスを食べるのが贅沢」なんてことを言いますが、それに通じるものがありますね。

 

そんなのんきなことを言っていられたのも、雪と言っても半分雨混じりのみぞれみたいなもので、積もる心配がなかったためです。

もし積もるようなことがあったら、電車なんかの運行が乱れたり、道路に積もった雪が凍ったりして面倒なことこの上ありませんからね。

東京は雪に弱いですから。

 

よく「東京はちょっと雪が積もっただけで大騒ぎ」なんて言われますが、それも仕方がないことなのです。

日常的に雪と戦わなければならない雪国と違って、東京に雪が積もることなんて、一年に多くても数回しかありません。

年に数回のために、大掛かりな雪対策なんてできないわけでして。

一度雪対策の設備を整えれば終わり、ではなく、使おうが使うまいが設置した設備には維持費なんかがかかってきますからねぇ。

 

まあ、だからと言って鉄道会社も何一つ対策をしていない、というわけではないようなのですが。

そもそも東京、特に首都圏は電車の運行ダイヤが過密すぎる、という問題があるんですよね。

過密すぎるダイヤでないと、大量に移動する人を運びきれないんです。

 

で、雪が降るといくら対策してあっても、通常通りの過密ダイヤでの運行はできません。

徐行運転とか運休とかで運行本数が純粋に減ります。

でも運ばなければならない人間の数は変わらない……ということで、人間が駅に群がって大騒ぎ、というニュースでお馴染みの光景が繰り広げられるわけです。

 

もう、これを解消するには「全部の線路に屋根を設置する」とか「全鉄道全区間を地下鉄化する」くらいのことをしないと無理でしょう。

でもそれは、あまりにも非現実的ですしねぇ。

 

……なんてことを調べたりしながら、ダラダラと作業を終わらせて。

いざ、雪がチラホラ舞う中、外に出たのはいいのですが。

 

……寒すぎます。

ちょっと笑っちゃうくらい寒すぎます。

 

あっと言う間に身体が芯まで冷え切ってしまいました。

アイスコーヒーを飲んで「乙なもんだな」とか言っていた自分が馬鹿みたいです。

 

「もうこれは、身体を内側から温めるしかない!」ということで、居酒屋で一杯ひっかけることにしました。

寒いからね、仕方がないよね。

なんか言い訳みたいに聞こえるかもしれませんが、それは気のせいですよ。

 

まあ、でも結局飲むのは黒ホッピーというね。

キンキンに冷えたジョッキにキンキンに冷えた焼酎とキンキンに冷えた黒ホッピーを注ぎ込んで、グーッと胃の中に流し込みます。

冷たくて美味しいです。

 

店の中は暖かいからね、仕方がないよね。

……アイスコーヒーの反省がまったく活かされていませんが。

でも、最終的にはアルコールのおかげでそれなりに身体は温まったと思います。

まあ、やっぱり寒くて、帰宅後すぐに蒲団の中に潜り込んだんですけどね……。

フリーランスは新型コロナウイルスによる休業補償一日4100円ですか

なんかバタバタしておりまして、ブログの更新が後回しになっていました。

こういう時のために、ネタがある時に書き溜めておければいいんでしょうけど、私の書き方だとそれもなかなか難しくて。

いつも書こうと思った時に思い付いたネタで書いているものですから。

 

そもそも、ブログを書き溜めておくような勤勉さが私にあるか、と言われたら答えは「NO」なんですけどね。

そこまで勤勉だったら、多分もう少し稼げていると思います。

 

そんな感じでバタバタしているうちに、新型コロナウイルスの影響によるフリーランス、自営業への休業補償が一日4100円、という話になっていたようです。

「ゼロよりはマシかなぁ」と思いたいところですが、会社に所属している人との差がちょっと大きすぎるんじゃないかな、とも思ってしまうところです。

雇用保険に入っているか、などの違いもありますし、一概に「同額にしろ!」と言えるようなものでもないとは思いますが、不満の声が出るのも仕方がないかな、と。

 

あ、別に自分がもらえる金額が安いから文句を言っているわけではありませんよ。

私もフリーランスですが、そもそも休業補償がもらえる対象から外れていますし。

ただ、一日4100円だと一カ月30日と考えてフルにもらえても12万円弱。

家賃や光熱費、そして税金を払ったらほぼなくなるような金額なわけで、お仕事が新型コロナウイルスの影響で完全になくなっているような方からすれば「どうやって生活すればいいの?」と思うのも当然だよな、と思ったわけです。

 

で、その一日4100円の根拠が「最低時給の4時間分」だと言うのですからねぇ。

それは「フリーランスは一日4時間くらいしか働いてないんだろ」と言われている気分にもなると言うものです。

 

フリーランスの仕事って、実際にお金をもらう仕事をする前の準備期間の方に時間を割いたりしているわけです。

ブログを例に挙げるなら、私のような殴り書きブログと違って、ちゃんとアクセス数を稼ぐためにブログを書いている方ならわかると思います。

ネタを探して、下調べして、構成を考えて……といった時間が準備期間に当たりますよね。

その時間を無視して「実際にブログを書いている時間は4時間だから、労働時間は4時間ね」と考えられても困るよな、と。

 

だから「一日4100円の根拠は、最低賃金の4時間分」ではなくて、なぜ「最低賃金の4時間分」という設定なのか、の根拠を説明してもらわないと、ちょっと納得はしかねるわけです。

 

と、ここまで書いてちょっと恐ろしい事実に思い当たったのですが。

ひょっとして、配偶者や親の扶養に入っているパートさんや学生アルバイトさんとフリーランスの区別がついていないんじゃないでしょうか。

扶養に入っている方なら年収の上限がありますし「一日4100円くらいでいいんじゃないの?」となんとなく決めた、とか……。

 

まあ、自営業者の方も同額ですし、さすがにそれはないとは思うんですけれども。

でもむしろ、そう考えた方がまだ納得できる金額設定なんですよねぇ。

うーん、どうなんだろう……。

 

まあ、あんまり批判めいたことばかり言っていてもな、と思うので。

大相撲の話でも。

 

無観客の取組を見ましたけれど、想像以上にシュールな光景でした。

不謹慎ながら、ちょっと笑ってしまいましたよ。

良い点としては、普段は歓声で掻き消されてしまう行司さんの掛け声がはっきり聞こえて、それぞれの個性が楽しめる、というところでしょうか。

 

力士も手を抜いているようなことはなく、面白い取組が見られることは嬉しいです。

でも3日目の高安関の怪我が心配ですね。

普段の場所でもなかなか見ないような痛がり方でしたし……。

 

もう相撲が取れなくなるような怪我でなければいいんですが。

大関復帰が叶わず、平幕に落ちて巻き返しの場所だったわけですし、これで気力が尽きてしまう、なんてことにならないことを祈るしかないですね。

もう高安関も30歳ですが、まだ30歳とも言えます。

決して無理はしてほしくはないですが、頑張ってほしいです。

大相撲春場所、本日より開催ですが…

大相撲春場所が本日よりエディオンアリーナ大阪大阪府立体育会館)で開催されています。

普段だったら私の気分も盛り上がるのですが、今場所は新型コロナウイルスの影響で無観客開催、ということで、どうも盛り上がりに欠けます。

ご時世的に仕方がないとは思うのですが、やっぱり寂しいですよね。

 

私は直接会場に行って取組を見たい、というタイプの人間ではありませんが、テレビで観戦している時にやっぱり観客の反応も楽しむタイプです。

観客が盛り上がればこちらの気分も盛り上がるし、立ち合い一瞬のはたき込みであっさり勝負が決まってしまった時の観客のがっかりした様子なども、見ていて同じ気分になれますから。

 

まあ、一応開催できただけでありがたい、と思うべきなのでしょうか。

八角理事長によると「力士に感染が出た場合は場所中でも中止する」とのことですが……。

力士って基本的に集団生活を送っていますし、新型コロナウイルスの感染予防にもっとも避けるべき「濃厚接触」という意味ではこれ以上なく濃厚にお互い接触するわけです。

万が一力士に感染者が出たとしたら、それが判明した時点でもう取り返しがつかないくらい力士の中に新型コロナウイルスが蔓延してしまっているような気がするんですよね。

 

春場所後の春巡業についても、延期や中止がすでに決まっているのですから、いっそこの際、春場所自体も中止するべきだったのではないか?という思いも捨てきれません。

でもファンとしてはやっぱり取組が見たい、という気持ちもあって……難しいところです。

 

そうそう、開催はされましたが、場所中に毎朝叩かれる「寄せ太鼓」もなかった、とのこと。

「寄せ太鼓」は、お客さんに取組開始を伝え、会場に来てください、という思いを込めて叩かれるものですから、無観客開催では叩かれなくて当然ではありますが。

さらにお客さんを座席まで案内していろいろと世話を焼く「相撲案内所」もなく、会場の外にずらっと並べられる、力士名を染め抜いた「のぼり」もなく……と、相撲の風物詩と呼べるものがまったくないのは、寂しいです。

 

十両や幕内、そして横綱の土俵入りは行われるのでしょうかね。

まあ、テレビやインターネットで放送はするわけですし、おそらく行うのではないかな、と想像はしています。

でも、無観客状態での土俵入りなんて、より一層寂しさが際立ってしまうような気もします。

これまた難しいところです。

 

まあ、無観客状態でも力士たちが精一杯、力強い取組を見せてくれることに期待したいと思います。

それこそ、新型コロナウイルスによって日本に蔓延した暗い雰囲気を吹き飛ばすくらい。

月並みな言葉ですが「日本に元気を与える」つもりで頑張ってほしいです。

 

そして、間違っても力士の中に感染者が出ないことを祈りたいです。

力士自身は毎日の稽古で身体を鍛え、体力もあるでしょうから「まさか」の事態にはならないとは思いますが。

この状況で感染者が出てしまったら「見通しが甘かったのではないか」と思い切り批判されて、日本全体にさらに「自粛」の流れが広がりかねません。

 

あまり「神頼み」などという曖昧なものにすがるのは好きではないのですが、今回ばかりは土俵の神様が15日間、全力士と行司さんや呼び出しさんといった裏方さん、そして全相撲関係者の無事を守ってくれるように、私も一人の相撲ファンとして祈りたいと思います。

「ちくわ」という無限の可能性を持つ食べ物

ちくわ、好きですか。

私は好きです。

 

ちくわってスゴイと思うんですよ。

煮て良し、焼いて良し、揚げて良し、そして生(?)でも良し。

家でダラダラとビールを飲んでいて、「何かおつまみがほしいな」と思ったら、我が家ではちくわが登場します。

袋から出して、そのまま齧りつけば、もう立派なおつまみです。

 

わざわざお皿だのお箸だのを準備する必要がないのも、ちくわのいいところです。

片手にちくわ、片手に缶ビール。

行儀は悪いですが、何よりも後片付けの手間がない点が評価されます。

酔っ払った状態で、調理器具や食器の片付けをするのは面倒なことこの上ありません。

 

その点、ちくわは袋を捨てればいいだけ。

「飲んだ、食った、寝た」を実現するのにぴったりの食材だ、と言えましょう。

 

まあ、いつもそのまま食べていては、さすがのちくわも飽きが来ることもあります。

そんな時はちょっとだけ焼いてちょっとだけ醤油をかけたりします。

これがまた美味しいんですよ。

そんなに手間をかけたわけでもないのに、スゴくないですか?

 

ただ、ちくわの可能性はここで留まるわけではありません。

ちくわと言えば「穴」。

そう、ちくわの穴に何かを詰める、これこそがちくわの可能性を無限のものとする行為なのです。

 

 ちくわの穴に詰めるものと言えば、代表的なものとしてはキュウリとチーズが思い浮かびます。

どちらも細く切ってちくわの穴に詰めるだけ。

簡単ですので、私も時々家で作ります。

 

どちらかと言えばキュウリの方が好みですかね。

さっぱりとしているところと、ちくわの柔らかさに対するキュウリのシャキッとした歯応えの対比が食感として気持ちがいいんです。

チーズも決して悪くはないんですが……私の中では「永遠の二番手」という感じです。

「ちょっとキュウリだけだと物足りないかな」という気分の時に、一緒にチーズ入りちくわも作って味の違いを楽しむ、という位置付け。

 

そんな「永遠の二番手」的存在であるチーズ入りちくわですが、これが一気にキュウリを跳び越えてナンバー1に輝く時があります。

それが居酒屋で食べる「チーズ入りちくわの磯辺揚げ」という存在です。

 

揚げ物って、家ではまずやらないんですよ。

「台所が油で汚れるので掃除が大変」「揚げた後の油の処理が大変」「そもそも熱い油を扱うのが怖い」などなど、私にとってわざわざ家で揚げ物をしない理由は山のようにあります。

天婦羅だのフライだの鶏の唐揚げだの、揚げ物を家で揚げてくれるパートナーがいる方は感謝した方がいいですよ。

 

そんな訳で、もっぱらちくわの磯辺揚げは居酒屋で頼むものなのですが。

サクッとした衣と熱の通ったちくわ、そして穴からトロッと溢れる溶けたチーズ……思い出しただけでよだれが出てきます。

そして、これがまたホッピーに合うんですよね。

揚げ物全般に言えるかもしれませんが、こってりしたつまみとさっぱりしたホッピーを交互に口に運ぶと、永遠に食べて飲んで、ができる気がします。

たまりません。

 

ただ、居酒屋で出てくるちくわの磯辺揚げって、切った状態で出てくるんですよね。

私がよく行くお店でも、1本のちくわを4つくらいに切り分けた状態で出てきます。

食べやすいのは確かなのですが、どうせならちくわ1本丸ごとのダイナミックさを一度は味わってみたいな、と。

 

そこで、一度「ちくわの磯辺揚げ、切らないまんまでもらえない?」と頼んでみました。

店長さんは「まあ、出す前に切るか切らないかだけだから、いいよ」と言ってくれましたが、目の奥で「また妙なことを言い出したなこの人は」という光が輝いたのを私は見逃しませんでした(多分被害妄想)。

 

そんなこんなで目の前に出てきた丸ごと1本ちくわの磯辺揚げ。

切ってあるか切らないかでこんなにも印象が変わるものか、というくらいちょっとした迫力があります。

本当ならば豪快に手づかみで……といきたいところですが、さすがにお店の中ですし他人の目もありますので、お箸でいただきます。

 

……つかみにくい。

でも、なんだか妙な満足感があります。

猛獣が肉の塊に食らいついているような、野生の本能が目覚めるような不思議な感覚です。

丸かじりって面白いものですね。

まあ、味はいつもの「チーズ入りちくわの磯辺揚げ」なのですが。

 

でも、意外な利点も発見しました。

切った状態だと、その切った部分から冷めていってしまってチーズが固まり、トロトロ感が失われてしまうのですが、丸ごと状態だとそれがないので結構な長時間、中のチーズがトロトロ状態のままなのです。

トロトロチーズが好きな方には、おすすめの食べ方かもしれません。

 

ちょっと食べにくいですし、周りから好奇の目で見られる可能性はありますが。

まあ、美味しいもののためなら、ちょっと変な目で見られるくらい構いませんよね。

居酒屋で恰好付けても、別にモテるわけでもないですしねぇ。

「働くこと」に対する意識の違いって意外と面白いなと思う

突然ですが、私は仕事をしています。

働いています。

働く理由は、まずは生活費を手に入れるため。

そして、とにかく何か面白いことをしたいためです。

 

そんな私も、一時期思い悩んだことがありました。

「人はなんで働くのだろう」と。

 

一番の答えとしてはもちろん、生活費を手に入れるためなのです。

ですが、そのためにこの世界に住む人がみんな、社会に出たら就職して働く、それを当然のこととして受け入れているという事実が、なんだか不思議なことのように感じられてしまったのです。

特に「働きたくはないけれど、働くのが当然だから」と言って、嫌な仕事、やりたくない仕事でも従事している、この「当然だから」という感覚がイマイチ理解できなかったんですよね。

 

ただ単に「若かったから」だったらそれで話は終わりますが、いまだにこの「当然だから」に対する違和感というものは根深く心の中に残っているんですよね。

お風呂場に発生する頑固なカビのように。

そうだ、そろそろ久し振りにお風呂も大掃除しなきゃな。

排水口もしばらく放置しているし、詰まる前に掃除しないと。

 

話が逸れました。

とにかく「働くのが当然」という感覚に違和感があるのですよ。

働きたくないのであれば、働かなくてもなんとか生きていける、という世界があってもいいんじゃないか、と思うのです。

 

別に私が働きたくない人間、というわけではないんですけどね。

現状は幸いにもやりたくない仕事をやらなくてもいい環境ですし、お金が余るほどではありませんが毎晩居酒屋で軽くお酒を飲むことはできるくらいの状況ですし。

まあ、老後の蓄えとかはほぼありませんけど。

 

そんな話を他人とすると、同意してもらえることもあれば、それは違うんじゃないの、みたいな話になることもあります。

違うんじゃないの派の人からすると、まず働くことに意味がある、と。

お金や、やりたいやりたくないは別にして、まずは働くことで人生が充実する、と。

 

別にこの意見に異を唱えるつもりはありません。

まあ、そういうものかもな、と思います。

 

私なんかは、万が一今後一生働かなくてすむくらいのお金が手に入ったら、仕事なんてしないで寝て暮らしたいタイプです。

しかし、働くことに意味があるという人は、もし大金が手に入っても仕事は続ける、とのことでした。

働かないと人としてダメになるような気がするそうです。

 

働かないと人としてダメになる、という感覚も、ちょっと私にはよくわかりません。

これは、私が「働いていようがいまいがダメな奴はダメだし、ちゃんとしてる奴はちゃんとしてる」と考えているためでしょうか。

 

まあ、ぶっちゃけどちらの意見が正しいとか正しくないとか、そういう問題の話題ではありませんし。

そもそもお酒を飲みながらダラダラと、実際に手に入るわけでもない「大金が手に入ったら」なんて話を嬉々としてしている時点でみんなダメ、とも言えます。

ただ、こういう人による意識の違いって面白いなと思った、というだけの話でした。

最近古本市に足を運べていない寂しさ

最近微妙な忙しさに追われていて、古本市に行けていません。

顔を出す候補としては、2月4日から11日にかけて行われていた「三省堂書店池袋本店古本まつり」と2月20日から25日にかけての「さよなら東急東横店 渋谷大古本市」があったのですが、どちらも結局足を運べず。

 

そちら方面に行く機会があれば、なんとか時間を捻出して短時間でも顔を出せたのですが、2月は東京の西側方面にしか出掛ける機会がなくて。

特に「渋谷大古本市」の方は、東急東横店の営業終了に伴う最後の開催。

何度も通ってさまざまな古本をゲットしてきた記憶を思い返してしんみりするためにも、どうしても行きたかったのですが……。

タイミングが合わない時は、とことん合わないものですね。

 

小さめの古本市が多くなってきた現在、「渋谷大古本市」のような大量の古本、さまざまなジャンルの古本が一堂に会する機会は少なくなってきている印象です。

どこかに会場を移して、同じくらいの規模の古本市が開催されてくれるといいんですが……。

いまいち今後の予定がわからないので、ご存じの方がいらっしゃったら教えていただきたいものです。

 

次に開催される古本市、行きたいのは3月20日から22日に東京交通会館で行われる「国際稀覯本フェアー日本の古書 世界の古書ー」なのですが。

3日間と短いので、うまくタイミングが合うかなぁ。

それ以前に「新型コロナウイルスの影響」で中止にならないか、という点も心配であります。

 

新型コロナウイルスのせいで「不要不急の外出は控えるように」とのお達しが出ている昨今、わざわざ多くの人が集まる古本市に行くなんてとんでもない、と思われるかもしれませんが。

私を含め、多くの古本ファンにとっては、新型コロナウイルスに怯えるよりも古本に囲まれたいものなのです。

 

「そういう危機意識の低さが、新型コロナウイルスの拡散につながるんだ!」とお叱りはごもっとも。

でも、それを我慢できない、古本に囲まれないとむしろ健康を害してしまう、そんな風に考えてしまうんですよね。

古本という底知れない魔境の魅力に憑りつかれてしまった人間の、どうしようもない部分です。

 

そうそう、新型コロナウイルスと言えば、結局昨日はイベント中止の影響で仕事がなくなってしまったため、早い時間から飲みに出掛けたんです。

場所は、家の近所にあるダイニングバー。

普段はグループ客などで大賑わいなのですが、開店直後くらいに入ったので店内はガラガラ。

これは日曜日だったということもありますし、新型コロナウイルスの影響ではないと思います。

 

ですが、入店したら「アルコール消毒にご協力ください」の貼り紙と共に、手を消毒する用のスプレーが置かれているわ、マスターも他の店員さんもマスク着用で働いているわ。

飲食店も大変だなぁ、と。

 

普段は忙しく立ち働いていてなかなかお話できないマスターとのんびり話す機会ではあったのですが。

「アレの影響ですか」

「まあ、そうですね。一応ちゃんと対策できることはしておかないと、ね。休みにするわけにはいかないですし」

マスターも店員さんも苦笑いですよ。

いや、マスク姿だったので、本当に苦笑いだったかは半分私の想像ですが。

 

まあ、美味しいビールもいただけましたし、料理も相変わらず美味しかったですから。

マスク姿でも全然かまわないですし、ちゃんと対策している、という姿は好感度が上がるのですけれども。

やっぱり大変そうだなぁ、としみじみ思った、という話です。