zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

オヤジになると外と家の区別がつかなくなるのだろうかと疑問に思う

最近はありがたいことに、営業している喫茶店も増えまして。

家では落ち着いて作業できない私としては、大変ありがたく思っています。

 

まあ、新型コロナウイルス全盛期の頃は、家で粛々と仕事をしていたのですから、心の持ちようなんでしょうけれども。

でもやっぱり、外に出て仕事した方が集中できるんですよね。

 

家だと「ダラダラ仕事してても別に誰にも迷惑はかからない(〆切を破ったら先方に迷惑はかかるけど)」という思いが捨てきれないんです。

その点、喫茶店で仕事していると「あんまり長時間、席を占領しているわけにもいかない」という思いが働いて、さっさと仕事を終わらせようという気持ちになれるんですよね。

ムチで叩かれないと走らない競走馬タイプ、と言えるでしょうか。

そんなタイプ分けが存在するのかは知りませんけど。

 

そんな感じで喫茶店で仕事していたんですが、本日はちょっと離れたところに座っていたオヤジが気になって気になって。

座っておしぼりで顔と頭を拭く、まあこれは他にもいるでしょうから、良いとしましょう。

私はおしぼりで顔とか拭くのは嫌いなんで、やりませんが。

 

デカい声で「おーい、お姉ちゃんおーい」と店員さんを呼ぶ、これもギリギリセーフですかね。

声がデカすぎて、店員さんどころか店中の注目を集めていましたけど。

と言うか、そんなに広くもない喫茶店の中で、必要以上に馬鹿デカい声で叫ぶとか……大海原で救助を求める遭難者じゃあるまいし。

 

靴を脱いでリラックスし始める、これはちょっとなー。

見ていてあまり気分の良いものではありません。

なんか臭そうだし。

あ、これは別に相手がオヤジだからというわけではありませんよ。

若者だろうが女の子だろうが、公共の場でいきなり靴を脱ぎだすのはどうかと思いますよ。

 

さらに靴下まで脱いで完全にくつろぎだす、これはもう私の中では完全にアウトですわ。

自宅か、とツッコむことすら阿保らしい気持ちになります。

なんでオヤジの生足を視界に捉えつつ仕事しなければならないのでしょうか。

どれだけ重い罪を前世で犯したら、そのような責め苦を受けるのでしょうか。

 

まあ、その後もテーブルをなんかリズミカルに叩き出したり、独り言をつぶやきながらカバンの中をゴソゴソ漁り始めたり、もうその行動すべてが気になってしまって……。

結局、仕事はあんまり進みませんでしたよ。

私が気にしすぎなのかもしれませんけどね……。

 

とにかく、家じゃないんだから外ではもうちょっとピシッとしていた方がいいんじゃないかと思った出来事でした。

せめて靴下は履こうよ、うん。

「アベノマスク」が届きました

ここ2日ほど、お仕事に追われてブログを書く時間が取れませんでした。

こういう事態になると、より一層日常が戻りつつあることを感じますね。

そう考えると、ブログを書く時間がないほど忙しいのも嬉しく……はありません。

私は「忙しさはそこそこに、収入もそこそこに」がモットーですので。

忙しいよりは暇でゴロゴロしている方が好きです。

 

それはともかくとして。

バタバタしている間に、アベノマスクが届いていました。

安アパートの安い集合ポストに、雑に突っ込んでありました。

ちょっと前のマスク不足の時期だったら、誰かに盗まれていてもおかしくないくらい雑に突っ込んでありました。

どうかと思います。

 

まあ、せっかく届いたんだから文句ばかり言っていても仕方がありません。

持ち帰って眺めてみましたが、特に汚れや異物などはないようです。

一時期、その辺があーだこーだ言われていましたが、改善されたようですね。

 

しかし、懐かしい形状のマスクです。

長方形の両脇にゴムがくっついたやつ。

「立体式マスク」が主流となった現在、ほぼ見掛けることのなくなった形状のマスクではないでしょうか。

まだ子供だった頃、立体式マスクが一般化する前の学校給食の時に装着していたマスクを思い出しました。

今の子供たちは、まだ給食当番の時にこの形状のマスクをしているのでしょうか。

別にどうでもいいことですが。

 

まあ、届いたものの、今はだいぶ普通にマスクも手に入るようになってきましたので、自分で使うことはなさそうな気がします。

しかし、外出するたびに行き交う人々のマスクを見てみるのですが、アベノマスクと思われるマスクを装着している人って、まったくと言っていいほど見かけません。

あれだけ大騒ぎして、あれだけお金を使って、一体何だったのでしょうかねぇ。

 

別に安倍首相が嫌いなわけでも好きなわけでもない私ですが、そこはちょっと疑問に思ってしまいますね。

だったらマスクに使った分のお金、国民に配ってくれた方が喜ばれたんじゃないかなぁ、と。

 

まあ、今更何を言っても使われた時間もお金も戻ってはきませんしね。

どこかに非常用のマスクとして、しまっておこうかと思います。

使う機会が来るのかはわかりませんけれども。

久々に平日夜の通勤時間帯に電車に乗ったら日常が戻ってきつつあることを感じました

先週の5月11日、取引先の会社に行かねばならず電車で都心まで出かけました。

帰りの電車に乗ったのが午後5時過ぎくらいだったのですが、その時、電車はガラガラでした。

 

それが昨日、5月18日。

またしても仕事で都心まで出かけました。

そして帰りの電車に乗ったのが午後6時くらい。

ギュウギュウ詰めとは言えませんでしたが、それなりに満員でした。

 

たった一週間で、かなり出勤する人間が多くなったことを身をもって感じましたね。

まあ、11日はちょっと帰るのが早かったので、そのせいでガラガラだったのかもしれませんけど。

 

新型コロナウイルスの脅威が完全になくなったと言えなくても、ずっと仕事がお休みではたまりません。

だんだんと日常に戻らなくてはならないわけで。

そして、完全なリモートワークもできない、ということでしょうかね。

 

日常が戻ってきたことを正直嬉しく思っておりますよ。

「まだ終わったわけじゃない!」という人もいるでしょうけど、じゃあ新型コロナウイルスが完全になくなるまで自粛生活を続けられるか、と言ったらそんなことは不可能なわけでして。

無理やりにでも、だんだん日常生活を元に戻していくしかないんですわ。

 

贅沢を言えば、マスク着用もそろそろ止めたいところなんですけどね。

暑いし、メガネが曇るし。

うーん、でも5月いっぱいは我慢かなぁ。

他人の目、特に自粛警察が怖いしなぁ。

 

しかし、日常生活が戻ってきたのを実感することで、ますますTwitter上で「納税通知書が来た!」と騒ぐことの阿保らしさを実感しましたな。

別にコロナの最中、時間が止まっていたわけではないんですよね。

普通に仕事をしている人たちは仕事をしていたわけで、その中には税金を扱う人たちもいた、というだけの話です。

毎年来るべきものが普通に届いた、というだけ。

 

たまに外出することは、どんな騒ぎが起ころうと社会が普通に回っていることを実感するいい機会かもしれませんね。

ずーっと新型コロナウイルスに怯えて家に閉じこもっていたら、そんな当たり前のことすら実感できなくなってしまうかもしれません。

 

そんなことを考えながら、久々にのるそこそこの満員電車も悪くないな、と思いました。

……いや、やっぱり満員電車は新型コロナウイルスとか関係なく、あんまり乗りたくないですわ。

マイバッグを持ち歩くか持ち歩かないかをちょっと悩んでいます

最近、レジ袋有料のお店が増えてきましたね。

と言うか、今年の7月1日にはレジ袋が完全に有料化するとのことですので、それに向けてと考えれば予行演習みたいなもの。

そもそもスーパーでは、マイバッグを持っていけば数円値引きする、みたいなサービスを行っているところも多いですしね。

そう考えれば、今後はマイバッグを持ち歩くべきなのでしょう。

 

そう考えて、家に転がっていたマイバッグ……何かのオマケだか、誰かにもらったんだかしたバッグを持ち歩いてみようと思いました。

で、実際に何度かマイバッグを持って買い物してみたんですが……。

 

やっぱりレジ袋もらった方が楽ですね。

 

毎回の買い物を、自分の持っているマイバッグの容量を気にしながらするのって面倒臭いです……。

缶ビールの6本パックとか、ペットボトルの飲み物とか買うと、それだけで結構マイバッグの容量が埋まってしまって、他のものを買いづらいんですよね。

あと、お惣菜とかお弁当とか買った時、タレとかがこぼれてマイバッグが汚れないか、みたいな心配もしてしまいます。

イチイチ洗うの面倒臭いです。

 

マイバッグを複数持ち歩くのもアリかもしれませんが……それはそれで邪魔なんですよね。

私、普段持ち歩いているバッグは、資料だのパソコンだの本だのでパンパン状態、これ以上無駄な荷物を増やす余裕なんてないんです。

 

あと、外出時に買い物する時は、一軒では終わらず、他にも何軒か回ってチマチマと買い物することが多い私としては、自分の一枚のマイバッグに全部詰め込むより、お店ごとのレジ袋で小分けにしてもらった方が持ち運びやすいんですよ。

スーパーにご飯を買いに行くだけなら、マイバッグでも全然構わないんですけど。

 

こう考えると、やっぱりマイバッグを持ち歩くよりも、数円払ってレジバッグをもらった方が楽な気がしてしまっているんですよね。

「地球環境のことを考えろ!」とか言われてしまうかもしれませんけど。

 

それからよく考えたら、家で結構レジ袋って活躍するんですよね。

空き缶やペットボトルを、回収日まで貯めておく用とか。

ちょっとした整理整頓用とか。

 

それに使えなくなるのは、ちょっとキツイなー、とか思ってしまいました。

まあ、極端に「マイバッグ一筋!」とか「レジ袋命!」みたいなことを言わずに、マイバッグを使える時はマイバッグを使う、使えない時はレジ袋をもらう、と臨機応変にやればいいだけの話なんでしょうけどね。

でも少しでもマイバッグが使えるように、薄くて丈夫で持ち歩きやすいマイバッグでも探してみようかと思います。

 

……そのマイバッグが高価だったら、買わないと思いますけど。

Amazonの荷物がドアの前に放置されてる光景にはいつまで経っても慣れないです

玄関ドアの前にAmazonの箱が放置されていると、めちゃくちゃドキドキします。

あ、私の家の話ではありません。

私は「買い物はお店でする派」です。

 

宅配ってすごく苦手なんですよね。

家ではだらしない恰好をしているアラフォーオヤジなので、チャイムが鳴っても出ることができませんし。

だから私はいつでもお店で買い物します。

ちなみにクレジットカードも苦手なので、いつもニコニコ現金払いです。

 

まあ、古本なんかは心惹かれることもありますけどね。

多分、一度古本の通信販売を覚えてしまったら、歯止めが利かなくなる気がしまして。

ただでさえ家の中が本まみれ、財布は空っぽな人間なのに、それを悪化させるわけにはいきませんわ……。

 

すごい勢いで話が逸れましたな。

で、隣の家のドアの前に、Amazonの箱が置かれているんですよ。

もう2日くらい。

それが気になって気になって……。

 

いや、これまでも時々、そういう光景は目にしてはいたんですけどね。

そのたびに「盗まれたりしないのかしら」とか心配していました。

ただ、2日も荷物が放置されていると、別の心配も出てくるんですよね。

 

隣の部屋の住人が、突然ぶっ倒れて死んでいるんじゃないか、みたいな。

 

心配しすぎだとは思うんですけどね……。

だからと言って、自分がお隣のチャイムを鳴らして「荷物来てますよー」と言うのも、なんだかお節介と言うか、面倒ですし。

管理会社に連絡するっていうのも大袈裟な気がしますしねぇ。

 

まあ、一週間以上放置されているようなら、ちょっと何かしら手を打たなければならない気もしますが。

気にしすぎですかね。

気にしすぎで終わってくれるといいんですがね。

 

それにしても、荷物を手渡しせずに置いていく「置き配」って、けっこうメジャーになってきているんですね。

「再配達してもらうのが申し訳ない」「いつでも受け取れて便利」という好意的な声もあるようで。

確かに、再配達してもらうのは配達員さんの負担になるでしょうし、置き配できるものは置き配にしてもらった方がいいのかもしれませんね。

 

でもやっぱり、盗難に遭わないかとか、急に雨が降って荷物がダメになってしまわないかとか、個人的にはそっちの方が心配になってしまいます。

宅配BOXみたいなものがあればいいんでしょうけど、ウチみたいな貧乏マンションにそんな施設があるはずもなく。

 

うん、やっぱりお店に買いに行って直接買い物するのが、私の性に合っているようです。

久々にいろいろと雑誌を買い始めてしまった

最近、どうもテレビを見ていても面白くないので、たまに本屋やコンビニに行くと適当に目に付いた雑誌を買うようになってきました。

作業の合間とかちょっと手が空いた時とかにざっと目を通して、興味が出た記事はじっくり読む、という使い方をしています。

 

雑誌によって時事問題もあり、他人の不倫みたいな下世話な記事もあり、どうでもいい豆知識みたいな記事もあり。

テレビだと一方的に流れてくる情報を受け入れるだけな感じですが、雑誌は好き勝手な読み方ができるのがいいですね。

しばらく買っていなかったのですが、また雑誌を買うのが習慣になってしまいそうです。

 

ネックは、一冊が500円近くと、そこそこなお値段がしてしまうところですね。

それもあって以前、電子書籍で「雑誌読み放題」的なアプリを入れようかと思っていたのですが、やっぱり紙の雑誌が好きなんですよねぇ。

我ながら「そんなこと言ってるから、お金がどんどん無くなるんだろうが!」と思いますが。

 

……でもやっぱり、どうも電子書籍ってのは向いていないんですよね。

小説とか読んでみたんですが、全然集中できなくて。

なんか気になったことを検索したり、さらにその流れでYouTubeで動画を見出してしまったり、読書が進まない進まない。

自分に集中力がないだけかもしれませんけど。

 

あと、タブレットの画面をずっと見続けていると、目が痛くなってしまうのもあります。

年を取って、疲れ目がひどくなってしまってねぇ。

目薬が手放せませんわ。

 

というわけで、紙の雑誌派に戻ってしまった私。

せっかくなので、また気になった記事のスクラップでも始めようかと思います。

いや、この間、久し振りに押入れを開けたら、10年以上前に雑誌の記事をスクラップしていたファイルが出てきまして。

眺めていたら結構面白かったんですよね。

「なんでこんな記事を取っておいたんだ?」というのもありましたけど。

 

思い出にもなりますし、現在の仕事的にも資料として使えなくはなさそうなので。

さっそくスクラップ帳でも買ってこようかと思います。

今日は雨なので、明日にでも。

 

……こういうのも無駄な出費かもしれませんけど、私は形から入る派なものでしてね。

必要経費だと思って諦めますわ。

批判したくなる気持ちは分かるけれど批判する一方だとちょっと頭が悪く見える

ここ数日、Twitterとかで流れてくる言葉で違和感が抱いたものがありまして。

「アベノマスクや特別定額給付金の案内は来ないのに、税金の通知書は届く」という奴です。

 

まあ、確かに文句を言いたくなる気持ちもわかります。

ウチにもいまだにどちらも届いていませんし。

定額給付金の案内はともかく、マスクは届いた時にはもう不要になっているんじゃないかな、とか思います。

 

でも、考えてみれば毎年のルーチン作業として行われる税金の通知書と、ここ1~2カ月の間にいきなりやることになったマスクや定額給付金の案内を同等に扱うことの意味がわからないんですよね。

毎年払うべき税金の通知が遅れたら、そっちの方が問題じゃないかと思います。

それはもう、行政が破綻している状態ですよ。

 

そして、人員も急に確保する、さらに作業のノウハウが確立されているわけでもない作業に遅れが出るのは仕方ないだろう、と思うんですよね。

というか、定額給付金なんてマイナンバーカードを持っていればオンライン上で手続きできる自治体だってかなりの数ありますし、むしろ「このスピード感でよくやってる」と褒められるくらいだと思うんですけどね。

 

そう思っていたんですけど、わざわざTwitter上で反論するのも面倒に思って、なんとなくもやもやしながら過ごしていたんですよ。

 

そうしたら今日、YAHOO!のニュースで『カズレーザー「マスクは届かないけど税金の催促はバンバン届く」に賛同も…「時間がかかるのは仕方ない」』という記事を見つけまして。

自分の考えていたことをカズレーザーさんが代弁してくれているようで、ちょっとすっきりしました。

下手なコメンテーターだと「その通り!」とか言い出して行政批判を始めかねませんし。

 

あ、あと「こんな時期なのに税金の猶予はしてくれないのか」とか言ってる人もいましたけど、それは自分で猶予申請しろよ、と思います。

ネットでちょっと調べれば税金の猶予申請についていくらでも出てきますし。

なんで行政が一人一人の都合に合わせて動くべきだと思っているのか、ちょっと理解ができません。

あんたは猶予がほしくても、別に猶予なんかいらないという人だっているわけですよ。

自分のことは自分でする、という基本的なことすらできないんですかね?

 

短絡的に批判するのではなく、ちょっと頭を使えばいいのに、と思ってしまうできごとでありました。