zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

思いのゴミ溜めを作りました

日頃から、何かとストレスが溜まるなぁ、と悶々としながら生きています。
当然、それは私だけではないでしょう。
自分流、無手勝流で生きていく。
言葉にすれば簡単であり、非常に魅力的でもありますが、いざ自分がそのように生きられるか、と問われれば、それは難しいのではないか、と考えてしまいます。
よほど「自分」というものを確立し、誰にも頼る必要がないほどの金銭的余裕のようなものがあれば話は別かもしれませんが、そのような人間は多くはありません。


私もそうです。
生活のため、家族のため、何よりも自分自身のため。
これらのことを考えると、自分を守ることと同様に、周囲とも折り合いをつけていかなければなりません。


仕事先では上司に合わせ、同僚に合わせ、部下に合わせ。
家庭では夫に合わせ、妻に合わせ、両親に合わせ、子供に合わせ。
社会では法律に合わせ、世論に合わせ、ルールに合わせ。
結局、自分を中心に据えることができず、何かと周囲に合わせて生きていくことになるのです。
そのように生きていれば、ストレスが溜まるのも当然かもしれません。
自分が言いたいことも言わず、やりたいこともやらず、流されるように生きていく。
こうした一種の「我慢」ができる、ということも、一種の才能なのではないか、と思うことがあります。


私は、残念ながらこの「我慢」の才能が欠けているようです。
会社の命令にはついつい反抗したくなり、他人から何かを言われればとりあえず反論したくなってしまいます。
したくはなるのですが、心行くまで、自分が満足するまでその「反抗」を貫くこともできません。
周囲に迷惑がかかるのではないか、その思いがブレーキとなり、結局は悶々と、すっきりしない思いを抱えたまま周囲に合わせて行動するのです。


いっそのこと、完全なる反抗心を貫ける強さがあれば、もしくは完全に自分を捨てて周囲に合わせられる強さがあればストレスも溜まらないのでしょうが、残念ながらどちらの強さも持ち合わせてはおりません。
そういった強さを持たないために、一時は酒に逃げ、短期間ですが家に引きこもる状態になったこともありました。
ただ、そのような生活を続けるには経済的に余力がなく、結局再び社会の中に舞い戻り、なんとかギリギリの生活を送っている、それが現状であります。


社会の中に戻ること、それは再びストレスを溜め込むことと同義です。
言ってしまえば、いつ再び爆発するかもしれない時限爆弾を抱えて生きているようなものであります。
それはそれで仕方がない、とも思えず、諦めがつかない状態です。
諦めることができないのならば、どうすれば良いのでしょうか。
そのようなことを考えた結果、言いたいことを誰にも遠慮せずに吐き出す場所を作るしかない、という結論に達しました。


その吐き出す場所が、このブログであります。
だからここは、私個人のゴミ溜めのようなものです。
誰かに聞いてもらいたい話でもなく、討論したい話でもありません。
書かれていることはすべてゴミであります。
だから、私の書いたゴミに反応しても無駄ですし、何も良いことはありません。
それでもよろしければ、眺めていってくださいませ。
他人のゴミに興味はない、ということでしたら、何も考えずに立ち去ることを推奨いたします。