zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

日本に表現の自由など存在しない

引き続き「表現の不自由展・その後」の話ですが。
「表現の不自由」というテーマを見た人間に感じさせることができず、政治的主張に焦点を当てているように感じさせてしまった、という点でこの企画展は失敗である、というのが私の意見です。
見た人間にテーマが伝わらない展示に意味はありません。

というわけで私はこの企画展、失敗だとは思っているのですが、企画展が行われること自体には賛成です。
抗議、と言うよりも脅迫という行為によって中止に追い込まれてしまったという点は、非常に残念に思います。
安全性の確保が難しいという点、万が一にでも怪我人などが出てしまってはそれこそ大問題ですから、中止という手段を取らざるを得なかった主催者側の対応は理解できるのですが。

いっそのこと、すべての展示品を取り去り、空白となった「表現の不自由展・その後」のスペース自体を展示品としてしまえば良いのではないでしょうか。
「日本には表現の自由など存在しない」という強烈なアピールになる、と皮肉交じりにですが考えてしまいます。

そう、そもそも日本に「完全なる表現の自由」などというものは存在していないのです。
AVやエロ本など、アダルト商品の世界で飯を食ったことがある人間なら、誰でもそう思っているでしょう。

最近、「AV女優」は「セクシー女優」と呼び変えられ、あたかも市民権を得ているかのような印象があります。
しかし、彼女たちが取り上げられるのはネットニュースやスポーツ新聞ばかり。
地上波のバラエティー番組に出演することはあっても、報道番組や大手新聞社によってニュースとなることはほとんどありません。
彼女たちに関するネットニュースのコメント欄など見てみると、人格そのものを否定するような罵詈雑言が書き込まれている、という事実。

性的産業に携わっている人間には、表現の自由どころか人権すら認めないような不寛容さが日本社会に蔓延しているのです。
その事実に対して抗議の声を上げると、「そんな仕事をしている方が悪い」と言われてしまう、日本社会とはそんな社会なのです。
そして、大多数の人間は日本社会がそのような社会である、という事実を意識することもありません。

大手コンビニ各社がエロ本を置かなくなりました。
これだって、広い意味では「表現の自由」を侵害する行為だ、と言うこともできるでしょう。
「表現の不自由展・その後」と違い、コンビニのエロ本は脅迫的な抗議を受けたわけではありません。
それではなぜコンビニにエロ本が置かれなくなったのか、それは「社会的な流れ」がそうなっているから、としか言いようがありません。
「社会的な流れ」で「表現の自由」が侵害され、それに対して抗議の声を上げる市民団体など存在するでしょうか。
この事実を考えれば、日本に表現の自由など存在しない、ということは一目瞭然なはずです。

「性的なものは『芸術表現』の範疇に含まれない」というのであれば、それはそれで一つの意見でしょう。
しかし、そうであるのならば、「表現の自由を守れ!」などと大上段から構えてアピールすることはやめるべきです。
少なくとも私には、「表現の自由を守る」などというアピールは薄っぺらい虚言にしか聞こえません。