忘年会が好きと言うよりただ単にどこかで飲むことが好きなんだと思う
27日の夜から昨日にかけて、飲んで帰って起きて出掛けて飲んで帰って起きて出掛けて……の繰り返しでして。
そりゃ、ブログも更新しないですよね、という感じでした。
ただ単に友人に呼ばれただけのこともあり、お付き合いのあるところの忘年会にお誘いいただいたパターンもあり。
まあとにかく飲んで飲んで。
年末はいつもこんな感じです。
誘われればどこにでも顔を出し、誘われなくても馴染みの居酒屋に年末の挨拶、という言い訳で顔を出し。
昼から夜中まで、飲みっ放しです。
お金がものすごい勢いで無くなっていくのが笑えますが、このために一年間頑張って働いていると思えば、別にいくら使っても構わないかな、と。
今日は久々に「昼の部」がないので、家でちょっとのんびりしていました。
まあ、この後また飲みに出掛けるんですけどね。
こういう時、二日酔いしない程度のお酒の強さを持っていて良かったな、と思います。
一応、お酒の途中で水を飲んだり、帰宅してから甘いものとか摂取したりして気を使っているのもありますが。
二日酔いになるとせっかくのお酒も美味しく飲めませんからね。
そう言えば、最近「会社の忘年会なんて行きたくない」という意見が多いそうですね。
半強制的に、職場の人間と、楽しくもない飲み会に出るのは、時間の無駄であり、お金の無駄でもある、と。
まあ、その通りかもしれませんね。
私も会社員時代、自社も他社も含めていろいろな忘年会に出席してきました。
今だって忘年会に誘われれば、よほど都合が悪くない限り出席しています。
忘年会がどうこうよりも、ただ単にお酒を飲むことを楽しめるんですよね。
普段は会話とか苦手なんですが、お酒が入れば会話も苦にならない、という性格なのも良い方向に働いているのでしょうか。
お金の無駄、時間の無駄という点も気になりません。
飲んだらお金を払うのは当たり前だし、忘年会に出席しなくてもどうせ他の場所で飲んでいるんですから、時間の無駄でもないでしょう。
まあ、そうは言っても私だって、忘年会で「面倒臭いな」と思うことはありますよ。
例えば「かくし芸をやれ」とか「カラオケを歌え」みたいな。
全部「遠慮しますわ」で断ってきましたが。
何と言われようがコップを握ったまま、自分の席から動かないという強い意志を発揮しましたね。
あー、あと偉い人にお酌に行く、みたいな慣習も面倒に感じましたね。
行きませんでしたけど。
いっぱい人がいるんだから、私程度がお酌に行かなくても何の問題もないだろう、と思っていました。
お酌に来てもらう分にはいいんですけどね。
注がれたら注がれただけ飲むだけですから。
最近は一応、誘われる忘年会の席では「お客様」扱いなのでその辺は楽で良いです。
周囲の人とお酌したりされたりするのも、面倒ではありますね。
その辺は、あらかじめ瓶ビールを3本くらい確保して「自分は手酌で飲むのが好きなんで、お気遣いなく」と宣言することで乗り切っています。
「しなくてもいいし、こっちからもしませんよ」宣言ですね。
冠婚葬祭の時は、こういう「お酌をしたりされたり」というのもコミュニケーションの一つなので、ある程度受け入れますが。
忘年会程度でそんな気を使うこともあるまい、と。
そんな感じで私は「勝手に飲み食いして、勝手に楽しんで、勝手に帰る」ことができるタイプの人間なので、忘年会が負担でも何でもなかったんでしょうけど。
多分、ちょっと特殊なパターンでもあると思うので「私と同じようにすれば忘年会も楽しい!」なんて無責任なことを言うことはできません。
ただ「たまにはイヤだ、と思うことにも挑戦してみたら、なんか面白いことがあるかもよ」とは思いますね。
かくし芸とかカラオケとか、「遠慮しておきます」で全部断ってきた私が言っても、説得力皆無かもしれませんが。
でも実際、忘年会で初めて話した、みたいな人とその後ガッツリ組んでお仕事したりとか、その場の思い付きで話していたようなことが実際にプロジェクトとして動き出したりとか。
そんな経験も、ないことはないので。
何にせよ、心持ちによっていろいろと変わってくるんじゃないかと思いますわ。
嫌なものでも「嫌だ嫌だ」と思って参加するか、「嫌だけどどうせならなんか楽しもう」と思って参加するか、ということですね。
ま、世の中の忘年会のほとんどが時間とお金の無駄である、という意見、個人的には大賛成ですけど。
うまく仕事に結び付く忘年会なんて、10年に1回あるかないか、ですよ。
ガッツリ大掃除をしてきた(ただし自分の家ではない)
本日12月27日、今日が会社の大掃除しつつ仕事納め、という会社員の方も多いと思います。
私のような「フリーランス」という名の浮き草稼業の人間には基本的には関係ない話なのではありますが、本日は私も某社に出向いて大掃除のお手伝いをしてきました。
いや、以前仕事でがっつりとお世話になって、ほぼ毎日のように出社してお仕事をした時に、私用のデスクとPCを支給してもらっていまして。
今も継続的にお仕事はもらっているのですが、直接出向く必要は月に数日程度。
にも関わらず、なぜかいまだに私専用のデスクとPCを置き続けてくれている、という妙な会社さんです。
しかも「好きなように使ってくれて構わないよ」というありがたいお言葉までいただいておりまして。
それに甘えて、全然関係ない仕事までそこで時々させてもらうという、私にとって自宅以外の仕事場のように使わせてもらっているのです。
いや、PCの性能は高いし、個人で買うにはちょっと高いかな、と思うソフトも使えるので、非常に便利なんですよね。
私のように「何かの専門」のフリーではなく、「できることは何でもやりますぜ」というタイプのフリーランスには、専門の設備を揃えるとその資金を回収するまでやたらと時間がかかってしまうので。
無料でPCとソフトを使わせてもらえる、というのは本当に助かるんですよね。
そんなわけで、大掃除くらいはお手伝いしようか、と。
お金をもらうわけでもなく、完全なボランティアですが、人としてそのくらいの誠意を見せるのが当然でしょう。
大掃除と言っても、月に数日程度ですからデスク周りはそんなに片付けるものもなく。
デスク周りの片付けが終わった後は、給湯室のお掃除をしていました。
「人手が足りなくてそっちまで手を出せなかったので助かる」と言ってもらえました。
お役に立てたようで何より。
その後、紙ごみ類のシュレッダーもお手伝いしようかな、と思ったのですが、さすがにシュレッダーするような重要書類を私が扱うのはマズかろう、とそこは手を出さず。
デスクでちょこちょこ仕事しながら、シュレッダーされた紙ゴミの袋が溜まったらそれをゴミ置き場まで持っていく、という地味な仕事をしていました。
良い運動になったのではないでしょうか。
しかし、会社の大掃除というものは大量のゴミが出るものですね。
書類を溜め込んでいる人も多いらしく、シュレッダーがフル回転していました。
溜め込まずに、不要となったら少しずつシュレッダーすればいいのに……とも思いましたが、私も会社員時代は同じようなことをしていたので、文句を言える立場ではありません。
まあ、会社を出る時に「また来年もよろしくね」と言ってもらえましたし。
それはつまり「来年も作業場として使って構わないよ」ということでしょう。
ありがたいこととして受け止めておきましょう。
それから、デスクに買い込んだ古本なんかを結構溜め込ませていただいておりまして。
さすがに「持って帰った方がいいですかね?」と聞いたのですが、「時々そこから勝手に借りて読んでるから、置いたままでいいよ」と。
意外とそういう社員さんが多いらしく、図書館的存在として使われているようです。
本好きの方ばかりのようで、今のところ紛失したり汚されたりもしていないので、別に構わないかな、と。
持って帰るのも大変ですしね。
「自分では絶対買わないような変な本がいっぱいあって面白い」とも言われました。
これは褒められているのでしょうか。
自分でも変な本ばかり買っている、という自覚はありますし、褒められたと思っておきます。
いや、自宅の大掃除がまったくの手つかずなのに、こんなことをしていて良いのか、という思いもチラッと頭をかすめたんですけどね。
自宅が汚くても、困るのは自分だけですし。
明日以降ちょっとずつ手を出そうかな、と思います。
思うだけで何もしない可能性も高いですけどね……。
本を折るという行為は正直あまり好きではない
古本を購入する際は、ざっとページをパラパラめくって中の状態を確認します。
多少の汚れは仕方ないとして、時々ページがくっついてしまうくらいの派手な汚れが付着していることもあるので。
さすがにそこまで汚れていると、ちょっと購入には戸惑わざるを得ません。
あと、これは雑誌系で多いのですが、ページの切り取り。
これは汚れどころではありませんね、読みたいものが読めないんですから。
古本屋さんももちろん、一応本の状態はチェックをしているのですが、なかなか気付かないものです。
私も何度か経験がありますが、切り取りがある本に当たると悔しいものです。
あまりにも悔しかったので、その切り取りがある本を活用することにしました。
手に持ってページをパラパラとめくり、切り取りがある場合の違和感を指に感覚として覚えさせたのです。
おかげで、ざっとめくって切り取りがある時は気付くようになりました。
百発百中、というわけにはいきませんが。
なんか、親指の腹を擦るページの感触が一瞬だけ変わるんですよ。
具体的に説明ができないんですが。
ページの切り取りもそうですが、栞代わりにページの角を折られているのもイヤですね。
1ヶ所2ヶ所ならまだ我慢もできますが、数ページごとに折られている場合もあって。
「どれだけ小刻みに読んだんだよ」と思います。
まあ、栞代わりではなく、気になった部分をマークする感覚で折る、という人もいるらしいので、そういう人の蔵書だったのかもしれませんが。
しかし、私などはどのような理由があろうが本を折るという行為が大嫌いなのですが、世の中には抵抗がない人もかなりの数いるんですよね。
何しろページの角を折るという行為に「ドッグイヤー」という名前まで付いているのですから。
一般的な事象でなければ、名前など付かないですものね。
まあ、私が個人的に嫌いだ、というだけで、別に折りたい人は折ってもらっても構わないんですが。
ただ1つだけ言いたいのは「それを古本屋に売るんじゃねーよ」ということです。
「あ、面白そう」と思った本を手に取って、その本がドッグイヤーまみれだった時の腹立たしさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
「貴様の指もポキポキ折ってやろうか!」くらい。
そのくらいドッグイヤーが嫌いな私ですが、書き込みやマーカーでのライン引きはそこまで気にはなりません。
いや、無い方が望ましいのは確かなんですけれど、ドッグイヤーよりは以前の持ち主のことがわかってちょっと面白かったりするので。
「なぜこんなところに?」と思われるような、何の変哲も無い場所にラインが引かれていたり、ページのほとんどにラインが引かれていて、逆にどこが重要なのかわからなくなっていたり。
本の最初の方は疑問に思ったことなどが頻繁に書き込まれているのに、後半になるに従って綺麗なページになっていくので「飽きたな」とバレバレな時も。
それまで全然書き込みやラインがなかったのに、途中で1ヶ所だけラインが引かれている、という本もありました。
なんで1ヶ所だけ……?
まったく心理が読めません。
ちなみに私は、ドッグイヤーはもちろんしませんし、書き込みもライン引きもしません。
気になった部分に付箋を貼るタイプです。
ドッグイヤー派の方のブログを読むと「電車で読む時に付箋は貼りづらい」とか「付箋の消費量が気になって気楽に貼れない」とか書いてありましたが、そりゃ難癖ってもんでしょう。
バカでかい付箋ならともかく、細長いミニ付箋だってこの世には存在するわけですし、ミニ付箋なら片手で本と同時に持つことはできます。
「付箋の消費量が気になる」って、どんな高級付箋を使ってるのでしょうか。
付箋1枚1円もしないでしょう、そして本に貼るとしても、多くて数十枚程度でしょう。
それをケチケチしてどうすると言うのですか。
いや、まあ別に個人の自由ですから、どうでも良いと言ってしまえばどうでも良いんですけど。
ただとにかく「本を折るなら古本屋には売るな」これだけは声を大にして主張したいのです。
ここ数年のクリスマスには「ブラックサンタ」というものが囁かれているらしい
今日はクリスマスですね。
正直、昨夜スーパーに買い出しに行くまで昨日がクリスマスイブだということにすら気付いていませんでした。
毎日日付や曜日などあまり関係なく、目の前の仕事を淡々とこなしている弊害と言えましょう。
あと、かなり前からクリスマスの雰囲気が街中に溢れていすぎて、改めて意識していなかった弊害、とも言えるかもしれません。
しかし、せっかくのクリスマスですから、なんかそれっぽいブログを書くのもありかな、と思いまして。
そこで思い出したのが「ブラックサンタ」の存在です。
「ブラックサンダー」ではありません、「ブラックサンタ」です。
「ブラックサンタ」とは何かと言いますと。
クリスマスに悪い子のところにやってきて、お仕置きをしていく存在とのことです。
悪い子にはジャガイモや石炭をプレゼントし、さらに悪い子には豚の臓物をベッドにぶちまけ、さらにさらに悪い子は袋に詰めて連れ去ってしまうそうです。
正直に言って、お仕置きの域を超えていると思います。
このブラックサンタ、最初聞いた時は「どうせどっかの広告代理店が流行らせようと思って作った存在だろ」と思っていました。
しかし調べてみると、日本発ではなくドイツを中心に広まっている伝承、とのことでした。
まあ考えてみればこのブラックサンタ、とても商売に結び付くような存在ではありませんしね。
日本の広告代理店の方々、疑ってすみませんでした。
でも、あなたたちならそのくらいのことはやりかねないと、正直思っていたもので(まったく謝るつもりがない言い訳)。
このブラックサンタですが、元はドイツの伝承における「聖ニコラウス」、つまりサンタクロースの従者である「クネヒト・ループレヒト」という存在とのこと。
良い子にプレゼントをくれるのがサンタクロースですから、その対比としてブラックサンタと呼ばれるようになったらしいです。
日本ではサンタクロースの存在しか語られていなかったので、私は昔から「良い子はプレゼントをもらえるけれど、悪い子には何も起こらないのかしら」と疑問に思っていましたが、ドイツではちゃんと悪い子には悪いことが起こる、という教育がされていた、と考えることができるわけですね。
うん、こんな迷惑な存在がやってくるのでしたら、良い子にならざるを得ませんから。
良い子にはメリットが、悪い子にはデメリットがあると教える、教育として正しい姿だ、と言えましょう。
で、このブラックサンタの存在を知って思い出した日本の伝統芸能があります。
そう、秋田県男鹿半島周辺で行われてきた伝統行事「なまはげ」の存在です。
「泣ぐ子はいねがー!」のセリフでおなじみですね。
もしくは秋田県で活躍するローカルヒーロー「超神ネイガー」の元ネタでもあります。
この説明で「ああ、あの!」と思ってくれる方は少ないかもしれませんが。
なまはげは、クリスマスでこそありませんが、冬にやってきて怠け者をお仕置きする怖い来訪神です。
悪い子はなまはげにお仕置きされるのです。
どうでしょう、ブラックサンタと共通点がある、と思えないでしょうか。
むしろなまはげは子供だけでなく、怠け者の大人もお仕置きの対象としていることを考えると、ブラックサンタよりも怖い存在かもしれません。
じゃがいもや石炭すらくれず、ひたすら脅してくるだけですし。
……あれ、そう考えると、ブラックサンタよりなまはげの方が恐ろしい存在なのではないか、という気もしてきました。
なまはげ、ヤバい。
活動範囲が秋田県周辺に限定されている、というところが残念な部分でしょうか。
ともかく、ブラックサンタもなまはげも恐ろしい存在、ということに変わりはないかもしれません。
悪い子の教育にお困りのお父さんお母さん、「悪い子のところにはブラックサンタ及びなまはげが来るよ!」と脅してみるのも一つの手段かもしれません。
「何それ?」と聞かれてしまう可能性もありますが、その時はちゃんと説明してあげてください。
怖がるかどうかは別にして、「世の中には面白いものもいるんだな」と興味を持ってくれれば、それはそれで一つの教育として成り立つかもしれませんしね。
やっぱり宮崎駿監督ってすごいんだなと「ルパン三世」を見て改めて思った
先日、TOKYO MXで再放送していた『ルパン三世(第2シーズン)』が最終回を迎えまして。
全155話、懐かしさもあり、面白くもあり。
懐かしいと言っても、私は再放送でしか見たことがないのですが。
と言うか、本放送はちょうど私が生まれたくらいにやっていたんで、見られるはずもないんですよね。
私がアラフォーですから、この作品ももちろんアラフォーなわけです。
これだけ古い作品だと、現在のアニメを見慣れた目からは結構な違和感を感じたりすることが多いのですが……。
それでも楽しめたのが「ルパン三世」という作品です。
私の感性が、子供時代のまま止まっているせいかもしれませんが。
そんな中でも面白かった、と心から言える回が2回。
第145回『死の翼アルバトロス』と最終回の第155回『さらば愛しきルパンよ』です。
この2つの回の脚本・絵コンテ・演出を担当したのは「照樹務」氏……宮崎駿氏の変名、ということは有名かと思います。
今回、改めてこの2回を見て、宮崎駿監督ってすごいんだな、と改めて思った次第です。
脚本も面白いですが、何よりも演出が見ていて面白いんですよね。
スピード感に溢れたアクションシーンとか、どことなくコミカルなキャラの動きとか。
あと、出てくるメカがカッコいいんです、飛空艇とかロボットとか。
後に監督する『ルパン三世 カリオストロの城』はもちろんですが、『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』の原型と感じられる要素もたっぷり入っていまして。
「そりゃ、後に大ヒット映画を量産するわな」と改めて感心してしまいました。
そんな感じでとってもオススメなので、まだ見たことがないという方はぜひ一度見てください。
しかし、私個人としてはジブリ映画もすっかり見に行かなくなってしまったな、と。
最後に見たのは『千と千尋の神隠し』でしたから……これももう20年近く前の話になるのか……マジで?
そんなに昔の話だとは思わなかった……。
本当に人生、あっという間に過ぎていくものですね。
改めてまだ見ていないジブリ映画、見てみようかな……とも思いましたが、正直見そうにありません。
「金曜ロードショー」で放送していても見ないのに、わざわざDVDを借りに行く気になることが今後あるとは思えないからです。
何度か録画したのに、結局見ないまま消去したりしてますしね……。
あ、ジブリファンの方には木原浩勝さんの書いた『もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代-』と『ふたりのトトロ -宮崎駿と『となりのトトロ』の時代-』の2冊をオススメします。
制作進行としてこの2作品ができるまで、宮崎駿監督の一番側で見守っていた人間だからこそ書ける、知られざるスタジオジブリの様子や宮崎駿監督の姿が満載です。
作品について語っている本は山ほどありますが、それとはまったく違った視点からジブリの姿を知ることができますので、お好きな方はぜひご一読を。
オーセンティックバーの敷居が高いと思う時にはダイニングバーに行ってみるといいですよ
居酒屋で飲んだけれどちょっと飲み足りないな、と思う時はバーの扉を開きます。
そんなに頻繁に、ではありませんが。
強めのお酒をさっと飲んで帰るのですが、私なんぞは2杯で1時間ですから、それでもゆっくりと過ごしている方です。
バーテンダーさんと会話することもあれば、ボーっと本を読んで過ごすこともあります(だから薄暗いバーは苦手)。
バーテンダーさんがカクテルを作る時には、それを眺めていると時々バーテンダーさんがどんなお酒を使っているのか、このカクテルはどういった経緯で生まれたのか、などうんちくを語ってくれることもあり、それも楽しい時間となります。
それがきっかけでそのカクテルを頼んだお客さんと会話が始まったり、懐と酔い具合に余裕がある時は自分でも同じものを頼んでみたり。
居酒屋ほど喧噪にまみれることもなく、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
時々「バーに初めて入った」というお客さんとも会話することがありますが、そういうお客さんが口にするのが「バーって入り辛いと思っていました」という言葉。
一度入ってしまえばそんな印象もなくなると思いますが、「カクテルを知らない」とか「どうバーを楽しめばいいのかわからない」とかいう理由で、バーが敷居の高いものだと思っている方は意外と多いようです。
私も初めてバーに入ったのは、友人に連れられてのことでしたからね。
そういう理由がなければ「よし、バーに行こう」とは現在でも思っていなかったかもしれません。
確かに一般的な居酒屋に比べると、本格的なオーセンティックバーは入り辛いかもしれません。
お酒の種類は豊富なので、お酒好きには天国のようなお店ですが、あまり本格的な料理が置いてあることは少ないです。
バーテンダーさんが1人2人、ということもあるので、あまり本格的な料理には手を出せないのかもしれません。
最近ではそれなりの料理にも対応しているオーセンティックバーも増えてきたようですが、やはり基本的な使い方としては本格的に飲む前の助走として1、2杯飲むとか、飲み足りない時にちょっと飲むとか、そういう感じでしょうか。
「バーの雰囲気は楽しみたいけど、料理も楽しみたい」「本格的なバーは敷居が高い」と思う人は、ダイニングバーに行ってみることをおすすめします。
ダイニングバーはカクテルもありますが、ビールや日本酒、焼酎なども各種取り揃えてあって、好きなお酒を飲むことができます。
そして何よりも、料理が豊富でしっかり食べたい人も楽しめます。
その分、大人数での飲み会にも使われることが多く、ちょっと騒がしくなることもあるので、居酒屋とオーセンティックバーの中間、と言えるかもしれません。
ダイニングバーでカクテルを覚えて、それからオーセンティックバーに行ってみるという使い方もありでしょう。
ただ、バーっぽい雰囲気を味わいたいなら、大人数で行くことはおすすめしません。
1人か2人で行って、カウンター席に座るべきです。
カウンター席ならオーセンティックバーと同じようにバーテンダーさんがカクテルを作る様子を眺めることもできますし、バーテンダーさんと会話も楽しめるかもしれません。
宴会などが入っていて大忙しの時は、バーテンダーさんもそんな余裕はないでしょうけど。
なんかダイニングバーの宣伝記事みたいになってしまいました。
昨日ダイニングバーで軽く飲んだので、オーセンティックバーとの使い方の差について個人的にまとめてみようと思っただけなんですけどね。
ともかく、お酒は楽しく飲むのが一番だ、ということです。
どこで飲むにしろ、酔い過ぎて騒ぎ過ぎて雰囲気を壊したりしなければ、お店は歓迎してくれるはずです。
わからないことがあったら、聞けばいいだけ。
バーテンダーさんは基本的にお酒が好きな方が多いので、質問には喜んで答えてくれるはずです。
……まあ、時々周囲の客が「そんなことも知らないの?」みたいな感じでマウントを取ってくることもありますが。
どこにでもいるんですよね、そういう酔っ払いって。
私はそういう時、無知を装っていろいろおすすめのお酒とか聞いて、一杯奢ってもらう流れに持っていきますが。
マウントを取ってくる客は見栄っ張りなことが多いので、そういう点でちょろいことが多いです。
こちらは腹の中では「なんとかとハサミは使いよう、だな」と思っていたりするんですが。
まあ、酒を飲む場ですからいろいろなことがあります。
いちいちイライラせずに、上手に楽しめるようにしている、という話ですわ。
「立川フロム古書市」今年2度目の訪問記
21日(土)、夜に知人関係のクリスマス&忘年会的飲み会が開催されるということで、立川へ。
そのついで、という感じで「立川フロム古書市」に行ってきました。
「立川フロム古書市」は前回の8月にも訪れています。
前回の日記:8月29日「立川フロム古書市」訪問記
つい最近のようですが、もう4ヶ月も前の話なんですね。
時が過ぎるのは早いものです。
今回も会場は同じ、フロム中武ビル。
年末だしクリスマスシーズンだし、混んでいるかな……と思いましたが、古書市会場はまあ静かなものでした。
駅や周辺の歩道には人はいっぱいいたんですけどね。
客としてはゆっくり落ち着いて本を選べるので嬉しいのですが、これで利益が出るのかちょっと心配になります。
利益が出なくて「今後は開催しません!」ということになってしまうと、個人的に楽しみが減ってしまうので。
末永く続いてほしいものです。
本を眺めること1時間近く。
今回購入した古本がこちらになります。
・「驚いちゃいけない(笑)道楽三昧」 編・びっくりデータ情報部 発行・青春出版社(1992年3月5日初版発行)
・「有名人のご臨終さまざま」 著・マルコム・フォーブス/ジェフ・ブロック 訳・安次嶺佳子 発行・草思社(1994年2月15日 第1刷発行)
・「聴耳草紙」 著・佐々木喜善 発行・筑摩書房(1975年10月25日15版発行)
以上3冊、計800円でした。
「これから飲み会だし、あまり大量に買い込むのは止めておこう」という意識が働いたのも確かですが、そこまで興味をそそる本がなかった、というのも正直なところです。
「ちょっと気になる」くらいの本だったら山ほどあったんですけどね。
でもそんな「ちょっと気になる」本まで手を出していたら、それこそ歯止めが利かなくなってしまいますから。
未読のまま積んである本もまた増えてきてしまいましたし、ちょっと購入はセーブしませんとね。
「それなら古本市なんかに行かなければいい」と思われるかもしれませんが、それはまた別の話なのですよ。
古本市に行って大量の本に囲まれるのは、もはや私にとって生活の一部、趣味というより生き甲斐みたいなものなので。
そして古本市に行ったら「せっかくだから」と何冊か購入してしまう、ここまでがセットみたいなものですからね。
しかし、この「立川フロム古書市」、商売っ気がないと言うかなんと言うか……。
一応古本屋さんごとに「このジャンルに強い」という傾向はわかるのですが、それ以上に「とりあえずある本を持ってきて並べてある」感がけっこう強いんですよね。
「クリスマスだから飾り付けろ」なんてことは言いませんが、もう少し眺めていてワクワクするような棚作りとかしてもいいんじゃないかな、と思う部分もあります。
まあ、古本屋さんからしてみれば「常設でもない古書市で、そこまで時間も労力もかけられない」というのも事実かもしれませんが。
せっかく絵本がメインの棚もあるのですから、子供を呼び込むような工夫があってもいいんじゃないかな、と。
あまりにも会場自体が目立たないところにあるのもねぇ……。
「古本を買いたい」という若者、子供を育てなければ、それこそ古本屋自体が失われてしまうのではないでしょうか。
「BOOKOFF」みたいなお店もいいですが、そういうところでは買えない、本当に古い本も買いたい私のような人間にとっては、古本屋が失われてしまっては困るわけでして。
私の言っているようなことなど、本職の古本屋さんたちだって先刻ご承知でしょうし、「門外漢が気楽なことを言いやがって」と思われるでしょうけれど。
でも、土曜の午後にガラガラな古書市の様子を実際に見てしまうと、寂しいと同時に心配になってしまう、というのも確かなのですよ……。
あ、クリスマス&忘年会では、久々にすき焼きをいただきました。
とても美味しかったです。