zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

「横綱大関」について改めて考えてみた

昨日は約半日分の作業が突然PC内から消え失せる、という悲劇に見舞われまして。

ショックで不貞腐れてました。

ショートカットだけ残してフォルダが跡形もなく消えるって、どういうことなの……。

 

そんな感じでブログを書く気にもならなかったんですが。

今ここで吐き出してスッキリしたんで、改めて昨日書こうと思った「横綱大関」について、半分以上自分用のメモとして書き残しておこうかと思います。

 

そもそも「横綱大関」とは何かと言うと、大関が一人となってしまった場合、横綱がその空いてしまった大関の地位を埋める役割をする、ということであります。

なぜそんなことが必要なのかと言えば、江戸時代より大関・関脇・小結の三役は、最低でも東西に一人ずつ番付表に記載する、という伝統があるからのようですね。

というわけで、貴景勝関の一人大関となることが予想される2020年3月場所は、白鵬関か鶴竜関、西横綱になった方が「横綱大関」として番付に載るのでは、ということで話題となっているわけです。

 

この横綱大関、あまり実例があるものではありません。

最後の記録は、1982年初場所北の湖の例です。

 

ここで、なぜ大関が東西にいなければならないのか、と疑問に思う人もいるでしょう。

それは、相撲の番付における最高位は、あくまでも「大関」であるからなのです。

そもそも「三役揃い踏み」「これより三役」のように、相撲では「三役」という言葉がよく使われますが、この三役とは大関・関脇・小結のこと。

つまり「横綱」は、正確には地位ではないのです。

 

それでは横綱とは何か、と言うと、「大関の中でも特に評価されるべき力士」に与えられる称号、と考えるべきでしょう。

横綱とは一種の「名誉職」みたいなものなのですね。

横綱の昇進条件に「2場所連続優勝またはそれに準じる成績」と合わせて「品格・力量抜群のもの」とくどいくらいに言われることからも、それは明らかです。

 

まあ、その品格というものがあまりにも曖昧なので、この条件がしっかり機能しているかは疑問ではありますが。

ともかく、横綱は強いだけではなれない、という存在なわけです。

だからある意味「いなくても仕方がない」と考えられるわけですな。

 

そもそも「一度横綱になったら決して横綱から下がることはない」という時点で、特別な存在なのです。

勝てなくなったら、待っているのは「引退」のみ。

横綱から下がることはない、ということを「ずるい特権」のように考える人もいるようですが、とんでもない話です。

常に勝ち続けなければならないプレッシャー、とんでもないものですよ。

 

それに対して大関は「地位」ですから、もし勝てなくなったら番付が下がるだけ。

本人次第で相撲は取り続けることができるわけです。

 

こう考えると、横綱大関の間には、番付一枚どころではない、高い壁が存在していることが理解できるかと思います。

だからこそ、横綱というものは特別な存在として尊敬を集めるものなのですね。

 

横綱大関」という存在から「大関は絶対必要、横綱はそうではない」と考えてしまいますが、こうやって考えてみると、横綱の偉大さが再確認できる、というのは面白いですね。

 

ともかく、来場所は朝乃山関にとって大チャンス、ということです。

大関昇進の基準である3場所で33勝には12勝が必要となりますが、最低でも10勝をあげれば相撲内容によっては大関の声がかかる可能性は0ではないかと。

めっちゃめちゃ甘く見積もった基準ですけどね。

 

相撲協会としても、いつまでも一人大関にしておくわけにはいかないでしょうし、多少は甘くなるんじゃないかと思うのですが……。

 

それにしても、もし「横綱がいない状態で一人大関」になった時は、番付はどうなるんでしょうね。

横綱大関という手が使えないし、無理やり誰かを大関にするわけにもいかないでしょうし。

ちょっとその辺は情報が見つからなかったんですが、気になるので時間がある時にでも調べてみようかと思います。