zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

ホッピーを美味しく飲むための方法

ふらりと街中に出てきたところ、なんか大通りで「よさこい」的な何かが行われていました。
毎年恒例、日本テレビの「24時間テレビ」も放送されているらしいですし、世の中はいよいよ夏の終わりをラストスパートで楽しもうとしているようです。
私のように夏は「なんか暑いな」、冬は「なんか寒いな」程度にしか感じず、その日暮らしをしている人間にはあまり関係のない話ですが。

さて、昨日に引き続きホッピーの話でも。
ホッピーを製造しているのは、ホッピービバレッジ株式会社。
こちらの公式ホームページでは「ホッピーの美味しい飲み方」を紹介しています。

基本的に知られているのが「3冷」という飲み方。
「ホッピー」「焼酎」「ジョッキ」の3つを良く冷やすことから、そう呼ばれています。
凍らせたジョッキに焼酎を注ぎ、そこにホッピーの瓶を逆さまにするようにして勢いよくホッピーを注ぎ込みます!
この注ぎ込む勢いで焼酎とホッピーを混ぜ合わせるのがコツ。
そして氷は、溶けて味も炭酸も薄めてしまうので、基本的に入れません。

……これが基本とされていますが、実際に居酒屋でこの飲み方を忠実に守っているところは、ほぼお目にかかりません。
ホッピーも焼酎もジョッキもキンキンに冷やすとなると、その分冷蔵庫・冷凍庫のスペースを確保しなければならないわけでして。
なかなかそのスペースを確保することは、よほどホッピーにこだわり、広いスペースのあるお店でないと簡単ではない、ということです。

ちなみに私は氷を入れる派。
氷が溶けることでアルコール度数を緩和してくれて、酔い過ぎを防いでくれるためです。
カットレモンは店が入れてくれればそのままにしますし、入れなければ要求することもありません。
単純に「お店のやり方に合わせる」というだけのことですね。

そうは言っても時々、いかにも「今、食器洗浄機から出して参りました!」みたいな生温いジョッキで出してくるお店はちょっとな……と思います。
せめて多少は冷えたジョッキで出してほしいものですね。
「お客に、美味しく飲んでもらおう」という気持ち、そして何より、お酒に対する愛情が足りていません。
文句を言ったりはしませんが。

そして、ホッピーの「中」、焼酎として定番なのが、株式会社宮崎本店の「亀甲宮焼酎」、通称「キンミヤ焼酎」です。
このキンミヤ焼酎をシャーベット状になるまで冷やした状態でホッピーを飲むのが「シャリキン」という飲み方。

これは酔います。
冷たくてスイスイッと口に運んでしまうのですが、油断するとよほど酒に強い人でないとベロベロになります。
私は普段、「外」(ホッピー)1本で「中」3杯なのですが、シャリキンの時は「外」2本で「中」3杯にしています。
このくらいにして、普段の酔い具合、良い具合になれます。

ちなみに、ホッピーには「ホッピー専用ジョッキ」もしくは「タンブラー」があることはご存じでしょうか。
こちらには、北斗七星の形で「★」マークが入っているのですが、この一番下の星まで25度の焼酎を入れると5%、下から二番目までだと7%のアルコール度数になるとのこと。

私は以前、良く行く焼き鳥屋のご主人から「家で飲む時に使うと良いよ」とこのジョッキを1つ、頂きました。
頂いたのは良いのですが、結局家ではホッピーを飲まないため、冷凍庫の中でずーっと凍らせたままになっています。

ビールとか飲む時に使ってもいいかな、とも思うのですが、せっかくのホッピー専用ジョッキ。
違う飲み物を注ぐと「俺はこんなものを飲ませるために生まれてきたわけじゃない!」と怒られそうな気もして……。
でも使わない、というのもかわいそうなので、今度はその焼き鳥屋からキンミヤの小瓶とホッピーを持ち帰りさせてもらって家でも使ってみようかと思っています。
次に行く時に、瓶は洗って返せばリサイクル的にも完璧でしょうし。

突発的な思い付きですが、なかなか良いアイデアのように感じます。
今度、お店に相談してみることにしましょう。

ホッピーのために夏は存在するのではないか

まだまだ暑い日が続いています。
暑い日は、冷たい飲み物ではなく熱い飲み物を飲んだ方が体に良い……という話を聞いたことがあります。
でも、体に良いとか悪いとか関係なく、やっぱり暑い日は冷たい飲み物を飲みたくなってしまうんです。

というわけで、毎晩居酒屋で黒ホッピーを飲んでしまうのも、仕方がないことなんです。
暑い日が続くのが悪いんです。

ホッピーを知らない人のために簡単に説明すると、ホッピーは甲類焼酎に混ぜて飲む、ビールテイストの飲み物です。
ホッピー自体はアルコール度数0.8%、低カロリー、低糖質、プリン体ゼロ。
「中」と呼ばれる焼酎の入ったジョッキに、「外」と呼ばれるホッピーをお客自身が入れて混ぜる、という店が多いです。
つまり、焼酎とホッピーの割合は飲む人の好み次第。
私は基本的に、ホッピー一本で中3杯くらいの割合で飲みますが、その気になれば「外」一本で「中」6杯とか10杯とかいうこともやれなくはありません。
ただしその場合、ほとんど焼酎ストレートで飲んでいるようなものになってしまいますが。

こんな話を人にすると、「わざわざ居酒屋で飲む必要があるの?」と聞かれることがあります。
確かに、スーパーや酒屋などでホッピーを売っていることもあるのですが、必ず置いてあるか、と言うとそうではありません。
もし幸運にも発見できたとしても、その瓶は居酒屋で出てくる瓶とは違うのです。

居酒屋で出てくるホッピーは、内容量360ml、瓶のずんぐりむっくりとしたキュートさと、瓶に直接商品名がプリントされているという潔さを感じさせてくれます。
「さあ、飲みなさい。私を飲んで酔っ払いなさい」というシンプルなホッピーの声が聞こえてくるのです。
手のひらにしっとりと吸い付くような瓶の握り心地、そしてジョッキに入った焼酎の中に注ぎ込むときの柔らかい鼓動のような振動。
それらが居酒屋の酔客たちのざわめき、威勢の良い店員さんの掛け声などと混ざり合って、最高の「酒飲み時間」を作り上げるのです。

それに対して、スーパーなどで売っているホッピーの瓶は、内容量330ml、なんとなく身長が高くてシュッとした印象を受けます。
商品名も直接プリントではなく、ちょっとおしゃれなデザインの腰巻紙を、粋に着こなしております。
なんだかこちらも、「では飲ませていただきます」という気持ちになってしまうのです。
居酒屋のように、なんとなく飲み進めて、中身の焼酎をお替わりするたびにちょっとずつ濃くして酔っ払う……なんて、雑な飲み方をしてはいけないような気持ちです。

まあ、居酒屋用も小売り用も中身は完全に同じなので、これは完全に私の思い込みなのですが。
でもやっぱり、ホッピーを飲むなら居酒屋。
これだけは私にとって譲れないところです。

無駄なこだわり、と笑われるかもしれませんが、お酒は酔っ払えば良い、というものではありません。
自分の好きな状況で、自分の好きな食べ物をつまみ、自分の好きなお酒を飲む、というシチュエーションで気持ちよく酔うのが一番。
そう思うからこそ、私は今夜も居酒屋のカウンターに座ってしまうのです。

カフェオーレの「穴」、復活したのはいいけれど

江崎グリコの「マイルドカフェオーレ」、私も昔から愛飲しております。
毎日飲む、というほどではないですが、時々思い出したように飲みたい欲求に駆られるのです。
あの甘さが、疲れている時にちょうど良いのだと思います。

そんな愛すべき江崎グリコの「マイルドカフェオーレ」。
500ml入り紙パックにはストローが付いていて、それを紙パック上部の中央に設置されていた「穴」に差し込んで飲む、という形式だったのは、誰もがご存じなはずでしょう。

ストローは三段式で、手で引っ張って伸ばすタイプ。
こういうちょっとしたギミックが、アラフォーオヤジの少年心を刺激してくれました。
力を入れ過ぎて繋ぎ目が抜けてしまい、絶望に沈んだことも一度や二度ではありません。

そんな愛すべきストローと穴が、紙パックから消えたのは今年の春のことでした。
購入した時には気付かず、家に帰っていざ飲もうとした時にストローがないのに気付いた私。
時々接着が甘かったのか、ストローだけが外れてしまっていたこともあったのでそれかな、とも思ったのですが、それにしては接着されていた跡すら見当たりません。

そして、パッケージに「ストローの添付はしておりません」の表記を見つけてしまった時。
さらに、一番の特徴とも言える「ストロー穴」が無くなっているのに気付いた時。
私の中ではさまざまな感情が駆け巡りました。
驚き、悲しみ、寂しさ……。
これは、帰宅した時にテーブルの上に離婚届がそっと置かれているのに気付いてしまった時の感情と似ているのではないでしょうか。
幸いにも私はそのような経験はありませんが。

仕方がないので、普通の紙パックのようにサイドから開いて、そこにストローを突っ込んで飲もうとしたのですが……コンビニ店員さんがストローを入れ忘れていました。
おそらく、店員さんも「マイルドカフェオーレにはストローが付いている」という意識が残っていたに違いありません。
そう考えれば仕方がない話です、店員さんを責めることはできません。

もう、何もかもが残念な気持ちになった私は、直接紙パックからマイルドカフェオーレをラッパ飲みしたのでした。
いつも通り美味しかったのです……でも、何かが違うという思いを拭い去ることができませんでした。

それ以来、どうもマイルドカフェオーレには手が伸びませんでした。
味は好きなのです、しかし「ストローが付いていない……」と思うと、なんだか損した気分になってしまうのです。
まさか、自分がそこまであのストローに依存していたとは、思ってもいませんでした。

しかし、なくなってしまったものは仕方がありません。
大人の余裕でようやくそう割り切れるようになり、心の傷も癒されてきたと思われるこの時期になって、全国のマイルドカフェオーレファンを震撼させる情報が飛び込んできたのです。

「マイルドカフェオーレの穴、復活」

朗報であるはずです。
喜ぶべき知らせであるはずです。
しかし、そこには大事なものが失われたままでした。

そう、ストローは、あの愛すべき三段式ストローは、戻ってくることはなかったのです……。

正直、穴だけ復活してくれても……という気持ちです。
「穴が復活したなら、そこにストローを刺せばいいじゃない」と思われるかもしれません。
しかし、この「穴」にジャストフィットするストローでなければ、意味がありません。

以前添付されていたストローは、穴にピッタリとはまってくれました。
わずかな隙間も見逃さない、というストローの密着感は、カフェオーレとそれを飲む人間を優しい一体感をもって包み込んでくれたのです。
もし穴とストローの間に隙間があれば、余計な空気がカフェオーレと飲む人間の蜜月関係を阻害してしまうことでしょう。

三段式ストローのない穴の復活など、中途半端としか言いようがありません。
とは言っても、ストローと穴が廃止されたのには「原材料の高騰による経費の削減」という、あまりにも抗いようのない理由があります。
たしかに、一つ一つの紙パックにストローを付けるのは経費もかかることでしょう。

個人的には、内容量を多少減らしても構わないからストローを復活させてほしいと考えています。
あの三段式ストローとストロー穴という個性、それがあるから、幾多の紙パック飲料が置かれたコンビニの棚の中でもマイルドカフェオーレは輝きを保っていたのです。

せっかく長い間持ち続けていた個性を捨て、凡百の飲み物となってしまっていたマイルドカフェオーレ
そんなマイルドカフェオーレが再び輝くには、「穴」の復活に続けて「三段式ストロー」の復活にある、と私は全力で提言するものであります。

髪型をセットするより寝ていたい

突然ですが、私は髪型をセットするのが苦手です。
基本的にシャワーを浴びて頭を洗ったらそのまま放置、自然乾燥してそのままです。
出掛ける時には、鏡を見てチェックもしますが、よほどぐちゃぐちゃになっている、とかなければそのまま。
櫛を通すこともしません。

髪の毛自体が細くて柔らかく、直毛なので、何もしなくても意外と整って見えるのが理由ではあります。
むしろセットしようと思ったら、整髪料をたっぷり使ってガッチリ固めなければ、すぐに崩れてしまうのです。
中途半端に整えたものが崩れかけているほうが、よほど見苦しいのではないかと考えているのも、理由の一つでありましょう。

本当は一番の理由は「面倒臭いから」なのですが、それだとあまりにもダメ人間に見えてしまうのでいろいろと理由をつけ足してみました。

そんな私ですが、さすがに思春期の頃、異性の目を意識し始める頃には、ちょっと髪型をいじってみたこともありました。
ジェルで固めて軽く髪を立ててみたりした……はずです(あまり覚えていない)。
でも三日くらいで止めました。

別に髪型を変えてもモテなかったから、というわけではありません。
いや、モテなかったのは事実ですけど。
ただ単に、私は「なんか体に付けるのが嫌い」な人間であったのです。

整髪料を付けると、なんか髪の毛がベタベタするのが気になって気になって……。
汗をかくと、そのベタベタ感が首とか額とかに浸食してくるようで気持ち悪くなります。

ベタベタする、と言えばリップクリームやハンドクリームなども苦手です。
怪我した時の塗り薬も当然ダメ。
湿布や絆創膏は平気なのですが、これはおそらく剥がせばすぐに気にならなくなるからでしょう。

最近は男性用化粧品も増え、日常的にメイクをする男性も増えてきているそうです。
営業のお仕事などは「見た目も商売道具!」と、そのあたりに気を使っている方も多い、とのこと。
私は学生時代、諸事情でちょっとだけメイクをしたことがあるのですが、やっぱり気になって気になってダメでした。
顔にずっとラップを巻き付けている感じと言うか、パンストをずっと被っている感じと言うか。

そんなことを言い出したら、女性は基本的に毎日メイクをしていらっしゃるわけで……。
営業職ではないアラフォーオヤジで良かった、としみじみ思っています。

「無造作ヘア」というものが流行したりもしましたが、あれも正直理解できませんでした。
わざわざ手間暇をかけて無造作を作り出す……。
穴を掘らせて、掘り終わったらその穴を埋めさせて、埋め終わったらまた掘らせて……という刑罰を想像してしまいます。

いや、自分が理解できないからと批判しているわけではないのです。
「無造作ヘア」と「ただのボサボサ頭」が違うものである、ということは一応わかっているのです。
ただ「手ごね風ハンバーグ」とか「手打ち風うどん」とか聞くと、違和感を感じませんか?
「どっちなんだよ!」と突っ込みたくなる、と言うか。

どうせなら「セットに一時間かかったリーゼント」とか「洗ってお手入れするだけでシャンプーを一本使い切る超ロングヘア」とか、そこまで突き抜けていた方が面白いと思うのです。
自分では絶対にやりませんけど。

そう考えると、毎日床山さんが結い上げる力士の大銀杏とか改めて素敵だな、と思います。
あれだけは、自分でも一回経験してみたいと思いますね。
あのまま日常生活を送るのは、非常に大変でしょうけれども。

イライラするなら、逃げればいいんじゃないかな

現在、私の住むアパートの外壁工事が始まっています。
築40年近くという、私とほぼ同年代のこのアパート。
その分、そこそこ広いわりに家賃が安いので気に入ってはいるのですが、やはり経年劣化は避けられません。
私がアラフォーになって、いろいろと劣化してきているのと同じことなのでしょう。

私個人としては、別に外壁がボロボロだろうが気にしないのですが、このアパートに住んでいるのは、もちろん私だけではないわけでして。
あまりボロボロですと、住んでいるお子さんが友達に「お前んち、おっ化け屋ー敷!」と某トトロのように罵られかねません。
それはかわいそうです。

ここに子供が住んでいるかは知りませんけれど。
都会の人間関係の薄さ、というやつです。
隣の部屋に誰が住んでいるかも知らない、誰かが死んでいてもわからない……。
怖い話ですが、今日のテーマとは何の関係もありません。

まあ、別に反対する理由もありませんし、私がお金を出すわけでもないですし。
というわけで、別に問題もないかな、と思っていました。
思っていたのですが……その考えは甘かったのです。

私、基本的に家でいろいろ作業しています。
時折、出掛けることもありますが、多くの場合、家を出るのは昼過ぎになります。
ですが、そんなことは関係なく、外壁工事は午前中から始まります。

外壁のタイルを剥がしているのか、ドリルでタイルを削る「ギューンギューン、ギュインギュイン」という音と、ちょっとした振動。
外壁に組まれた工事用の足場を作業員さんが歩く足音。
さらに突然、窓の外から話し声が聞こえてきたりした時には、ちょっとした心霊現象を体験している気分です。

「工事しているのだから仕方がない、仕方がない」と考えてはいるのですが、やっぱりイライラしてきてしまうんですよね……。
特に、ドリルの音はかなり大きく、テレビの音が聞こえなくなるほどなので。

ちょっとイライラしては、暑い中で仕事している作業員さんに申し訳なく思ったり。
何より、外で作業している人がいる以上、窓もカーテンも開けられない、というのが地味にストレスだったりします。

私、結構イライラとか怒りに対する耐性は強い方なのです。
すぐにキレる、短気な人間の「怒り導火線」が3cmだとしたら、私の導火線は10mくらいあると自負しております。
しかもこの導火線、おそらく湿っているようで、火が点いたと思ったらすぐ消えます。
私のことをキレさせたら、大したもんですよ。

そんな私ですが、さすがに連日の外壁工事攻撃はうんざりしてきたので、対抗手段を取ることにしました。
工事が始まる午前9時頃……それまでに家を出るのです。
簡単に言えば逃げるのです。
「嫌なことからは逃げる」「無駄な我慢はしない」
多分、偉人が誰かしらこのようなことを言っていると思います。
本当に誰かが言っているかは知りません。

エヴァンゲリオン碇シンジ君は「逃げちゃダメだ」と言っていましたが、シンジ君とは事情が違うので許してくれるでしょう。
いや、シンジ君だって、自分が乗っている状態で初号機の外壁工事を始められたら、ウンザリして逃げだすに違いありません。

そんなわけで、あっさり家を逃げ出した私は、最近は午前中から近所のカフェでコーヒーなんぞ飲みながらノートPCを開いていたりします。
一見するとノマドワーカーのようですが、残念ながらそんな立派なものではなく、このブログをダラダラ書いていたりするだけです。
まあ、この人生で少しぐらいそんな優雅な過ごし方をする時代があっても良いかと思いますが……。
生活に困窮している身としては、カフェのコーヒー代が少しずつダメージとなって降りかかってきています。

外壁工事が終わるのは8月末。
それまで私が耐えられるのか、それは神様と預金通帳のみが知っています。

ブログ開始から2週間で思ったこと

ブログを始めてから2週間が経過しました。
特に目的もなく、ただ何となく「書いてみようかな」と始めたブログですが、幸いにも三日坊主ということにもならず、毎日何かしら更新できています。
最初は「ただ書くだけで十分」と考えていましたが、こんなつたないブログでも更新するたびに幾人かは訪れていただけているようで、感謝しかありません。

おかげさまで「ただ書くだけ」から「読んで喜んでいただきたい」に思考回路がシフトしつつあります。
そうは言っても、いざ「誰かに喜んでもらえる」ブログを書こうとすると、まったく手が動かなくなってしまいました。
いったい何を書いたら良いのか、わからなくなってしまったのです。
好き勝手に書くのでしたら、いくらでも書くことはあるのですが……。

というわけで、無理に「誰かに喜んでもらおう」とするのは止めました。
これまで通り、自分が書こうと思ったことを書いていくことにします。
無理してブログを書くこと自体が苦痛になってしまっては、元も子もありませんから。

今後もここは「アラフォーオヤジが何となく思ったことを長文でダラダラ書くブログ」です。
それでもよろしければお付き合いいただければと思います。

それはともかくとして。
自分がブログを始めてから、暇を見つけては他の方のブログも読むようになりました。
毎日のように物事をしっかり調べた記事をアップされる方、私の知らない知識を与えてくださる方、私とは違った視点での物の見方を教えてくださる方、多種多様なブログがあって、いつも楽しませていただいています。

自分で物事を考えるには、他人の意見を知ることも重要だな、ということを改めて感じています。
自分の脳内だけで考えると、結論がどうしても独りよがりのものになりがちです。
うなずける意見、首を捻る意見、さまざまな意見を目にして考えることで、自分の考えの枠組みが拡がっていくのでしょう。

今は金銭的にも余裕がなくて難しいのですが、昔はできるだけいろいろな雑誌を購読していました。
せっかくお金を出して買ったのだから……と、興味が薄い記事なども読むようにしていたのですが、それはそれで自分の知識を拡げる役に立っていたと思います。

現在、私にとってその役割を果たしているのはインターネット上のニュースサイトだったりします。
配信のスピード感や情報量という点では、雑誌に比べると圧倒的に上でしょう。
ただ、どうしても自分にとって興味のある記事ばかりを選んでしまったり、あまり役に立たない「なんだこれ」な記事があったりと、ネットニュースも良い点ばかりではありません。

雑誌にしてもネットニュースにしても、結局は読む人間の心掛け次第なのかな、と考えたりします。
普段から様々な情報に触れていらっしゃる方からすれば「アラフォーになって今更そんなこと言ってるの?」と笑われてしまうかもしれませんが。

私にとってブログとは、雑誌とネットニュースの中間点に位置するもののようです。
はてなブログでも、面白そうなブログにはどんどん飛んで行って、読者登録させていただいています。
読みたい雑誌が一冊一冊増えていくような感覚で、ワクワクします。
今後も「書く」「読む」共にブログの世界を楽しんでいこうと改めて考えています。

「あおり運転暴行事件」加害女性デマについて思うこと

茨城県常磐自動車道で発生した「あおり運転暴行事件」で、加害者男性の車に同乗していた女性についてのデマが8月17日よりネット上で流れておりました。
会社社長の女性(ここではあえて名前を挙げることはしません)は、ある日突然「悪質事件の加害者」としてネット上に本名や写真をアップされ、本人のまったく知らないところで多数の人間から誹謗中傷を受ける立場となってしまったのです。
TwitterやInstagramに悪意あるコメントが溢れ、会社の電話も鳴り止まず業務に支障をきたすほどであった、と言います。

幸いにも本来の同乗女性が既に逮捕されたため、この情報がデマである、という事実が広まっていますが、デマの対象となった女性はデマを広めた人間に対して法的措置を検討している、とのこと。

私がこの話を知った時は、すでに女性の会社のHPに「流れている情報はデマである」という一文が記載され、そのこと自体もニュースになっていましたので、私自身はこの情報の真偽を疑うことができました。
Twitterで誤情報を広めていたユーザーも、書き込んだ情報を削除したり謝罪の書き込みをしたりする一方、いまだにデマが事実として書き込まれたままになっているユーザーもいます。

なぜこの女性が「同乗していた女性だ」というデマが発生してしまったのでしょうか。
疑問に思ってちょっと調べてみたところ、

・男性のInstagramをフォローしていた
・Instagramでアップしていた本人の画像で身に着けていた帽子や衣服が、本来の同乗女性の服装と似ていた
・本来の同乗女性と顔立ちがなんとなく似ていた

これだけの根拠でしかなかったようです。

根拠が薄弱であるためか、この情報がデマだと確定する以前からTwitter上には
「デマではないのか」
「もし確定情報じゃなかったら大問題だ」
などの書き込みも多く見られました。
それにも関わらず、大勢の人間が間違った情報を「確定情報だ!」として広めてしまうのですから、恐ろしいとしか言いようがありません。

会社のHPに「デマである」という一文が記載されてからも
「事実と異なる、という言い方は怪しい」
「本当に違うのだったら『私は同乗していた女性ではありません』と書くはず」
のような言い方で、引き続きデマの拡散を行っていたユーザーも目にしました。
人間、一度信じてしまった情報を「誤りだった」と認められない心理が働いてしまうのでしょうか。

「ネット上の情報を鵜呑みにしない」などという言葉は誰もが知っていると思います。
私がいまさら結論としてこの言葉を述べる必要はないでしょう。
ただ、私がこの情報を知ったのは「否定的な意見も多く見られる」というタイミングだったために信じずにいられただけで、タイミングが悪ければそのまま信じてしまっていたかもしれません。

私もまだブログ、Twitterを始めたばかりで、ネット上の情報の取扱いについて不慣れな点が多いです。
そんな自分に対する今後の戒めのためにも、この件についてちょっと書いておきたかったのです。

ただ、もし確定情報だとしても、容疑者の名前や画像をネット上で広めるような行動は今後も取りたくないな、と思いました。
調べている間にデマ拡散の書き込みを多数見ましたが、なかなか悪意に溢れた酷いものばかりでした。
他人に対するむき出しの悪意をさらけ出すことは、あまり格好の良いものではないな、としみじみ感じましたので。