zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

外食時の「コスパ」に対する意識について

美味しいものを食べることは、幸せなことです。

しかも、その「美味しいもの」を安く食べることができたら、より嬉しいことです。

これを世間では「コスパが良い」と表現します。

 

食べログ」など、飲食店のレビューを見ると、この「コスパ」という言葉が氾濫しています。

お店の雰囲気や料理が美味しい、不味い以前に「コスパガー、コスパガー」という言葉を連呼している姿を見ると、変な鳴き声をした新種の野鳥か、と思ってしまいます。

コスパ」でしかお店を判断できないなんて、視野が狭くて語彙が少ないのだろうな、と思ってしまうのです。

 

ここまで読んでいただければお分かりかと思いますが、私は「コスパ」という言葉が嫌いです。

お店を紹介される時に「このお店、コスパが良いんだよ」と言われたら、おそらくそのお店には行くことはないでしょう。

ただ、「安くて美味しいんだよ」と紹介されたら、行ってしまうかもしれません。

言っていることはほぼ同じなのですが、なぜでしょうか。

 

それは、おそらく私が「コスパ」という言葉に、美味しさと料金を常に天秤にかけている、という意識を感じるからでしょう。

料理を食べる時に、それが食べたいものであれば、一旦料金のことは頭から離しておきたいのです。

 

例えば、美味しいものを食べました。

その時の感想は「美味しいね」だけで終わらせておきたいのです。

その後で料金を見て、安かったら「お得だった」、高かったら「高いけど、美味しかったから当然だな」、と安くても高くても納得ができるのです。

「料理が美味しかった」というプラスイメージで終わることができるのです。

 

一方、「コスパ」という言葉には、「美味しくて安くなくては価値がない」という考え方を感じます。

美味しくても、料金が高かったら「コスパは良くない」と表現するわけです。

せっかくの美味しい料理に対して、マイナスイメージで語ることになってしまうわけです。

それって、せっかく美味しいものを食べても、幸せ具合が半減するような気がするのです。

 

一言で言ってしまえば、「コスパ」=「安いのが大前提」という印象があるのです。

どうにも「ケチ臭さ」を感じてしまうのです。

 

我ながら、これだけ「コスパ」という言葉を使う人が多い世の中でこんなことを言い出すのは、炎上待ったなし、な気もしてドキドキですが。

個人の感想ですので、勘弁していただきたいです。

 

私が「コスパ」という言葉を嫌いになったのは、もう1つ原因がありまして。

以前、雑誌かネットの記事か忘れましたが、『居酒屋でのコスパの良い頼み方』みたいな記事があったんです。

 

「飲み物はビールが原価率が高いのでコスパが良い」

「つまみは刺身が原価率が高いのでコスパが良い」

そんな内容だったのです。

読んだのはだいぶ前のことなのに、衝撃的すぎてこの文章ははっきりと覚えています。

 

いや、居酒屋でお酒を飲むのに、原価率が高いものを注文するのがお前の幸せなのか、と。

原価率が高いものを頼む=お店が損する=自分の幸せ、だなんて、どれだけ情けない考え方なのか、と。

そんなに「コスパ」を気にして注文するより、飲みたいもの、食べたいものを注文する方がよほど幸せじゃないのか、と。

コスパコスパ言う人たちって、こんな考え方してるの?」

そう思ったのが、私が「コスパ嫌い」になった原因です。

 

「元を取るぞ」と言って、食べ放題の店で限界以上に食べようとする格好悪さと同列ですね。

食べ放題の店でも、好きなものを好きなだけ食べて、無理に大量に食べようとしないのが一番楽しめる食べ方でしょう。

コスパ」も「元を取る」も、あまりにも料金に気を取られすぎな考え方のように思えるのです。

 

コスパを気にするのが悪いとは思いません。

私だって、お金がないので安くて美味しいものを食べられた方が嬉しいです。

しかし、それに捕らわれすぎるよりも、自分に払える範囲で楽しく食事をすることを考えた方が、外食を楽しむのに一番大事なことだと思うのです。

 

高くて不味いものが出てきたら、絶対に許しませんけどね。