外食時の「コスパ」に対する意識について
美味しいものを食べることは、幸せなことです。
しかも、その「美味しいもの」を安く食べることができたら、より嬉しいことです。
これを世間では「コスパが良い」と表現します。
「食べログ」など、飲食店のレビューを見ると、この「コスパ」という言葉が氾濫しています。
お店の雰囲気や料理が美味しい、不味い以前に「コスパガー、コスパガー」という言葉を連呼している姿を見ると、変な鳴き声をした新種の野鳥か、と思ってしまいます。
「コスパ」でしかお店を判断できないなんて、視野が狭くて語彙が少ないのだろうな、と思ってしまうのです。
ここまで読んでいただければお分かりかと思いますが、私は「コスパ」という言葉が嫌いです。
お店を紹介される時に「このお店、コスパが良いんだよ」と言われたら、おそらくそのお店には行くことはないでしょう。
ただ、「安くて美味しいんだよ」と紹介されたら、行ってしまうかもしれません。
言っていることはほぼ同じなのですが、なぜでしょうか。
それは、おそらく私が「コスパ」という言葉に、美味しさと料金を常に天秤にかけている、という意識を感じるからでしょう。
料理を食べる時に、それが食べたいものであれば、一旦料金のことは頭から離しておきたいのです。
例えば、美味しいものを食べました。
その時の感想は「美味しいね」だけで終わらせておきたいのです。
その後で料金を見て、安かったら「お得だった」、高かったら「高いけど、美味しかったから当然だな」、と安くても高くても納得ができるのです。
「料理が美味しかった」というプラスイメージで終わることができるのです。
一方、「コスパ」という言葉には、「美味しくて安くなくては価値がない」という考え方を感じます。
美味しくても、料金が高かったら「コスパは良くない」と表現するわけです。
せっかくの美味しい料理に対して、マイナスイメージで語ることになってしまうわけです。
それって、せっかく美味しいものを食べても、幸せ具合が半減するような気がするのです。
一言で言ってしまえば、「コスパ」=「安いのが大前提」という印象があるのです。
どうにも「ケチ臭さ」を感じてしまうのです。
我ながら、これだけ「コスパ」という言葉を使う人が多い世の中でこんなことを言い出すのは、炎上待ったなし、な気もしてドキドキですが。
個人の感想ですので、勘弁していただきたいです。
私が「コスパ」という言葉を嫌いになったのは、もう1つ原因がありまして。
以前、雑誌かネットの記事か忘れましたが、『居酒屋でのコスパの良い頼み方』みたいな記事があったんです。
「飲み物はビールが原価率が高いのでコスパが良い」
「つまみは刺身が原価率が高いのでコスパが良い」
そんな内容だったのです。
読んだのはだいぶ前のことなのに、衝撃的すぎてこの文章ははっきりと覚えています。
いや、居酒屋でお酒を飲むのに、原価率が高いものを注文するのがお前の幸せなのか、と。
原価率が高いものを頼む=お店が損する=自分の幸せ、だなんて、どれだけ情けない考え方なのか、と。
そんなに「コスパ」を気にして注文するより、飲みたいもの、食べたいものを注文する方がよほど幸せじゃないのか、と。
そう思ったのが、私が「コスパ嫌い」になった原因です。
「元を取るぞ」と言って、食べ放題の店で限界以上に食べようとする格好悪さと同列ですね。
食べ放題の店でも、好きなものを好きなだけ食べて、無理に大量に食べようとしないのが一番楽しめる食べ方でしょう。
「コスパ」も「元を取る」も、あまりにも料金に気を取られすぎな考え方のように思えるのです。
コスパを気にするのが悪いとは思いません。
私だって、お金がないので安くて美味しいものを食べられた方が嬉しいです。
しかし、それに捕らわれすぎるよりも、自分に払える範囲で楽しく食事をすることを考えた方が、外食を楽しむのに一番大事なことだと思うのです。
高くて不味いものが出てきたら、絶対に許しませんけどね。