zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

「自分らしさ」について結論が出ないまま文章を書いていたら、やはり結論は出なかった

夜眠れない時、布団の中でグダグダと何かを考えていることがあります。

昨夜は「自分らしさって何だろう」ということでした。

「自分らしく生きる」と自分で言うこともあれば、他人から「○○さんらしい」と評価されることもあります。

しかし、これが両方同じイメージかと言うと、決してそうではないでしょう。

 

自分で思う「自分らしさ」と、他人から思われる「その人らしさ」、どちらも同じ人間を評価する言葉であるのに、完全にイメージとして重なることはありません。

それがなんとなく気持ち悪いな、とずっと布団の中で考えていました。

理論立てて考えていたわけでもなく、なんだかもやもやとした、掴みどころのないイメージを頭の中でこねくり回していた、という感じなので、うまく説明できていないかもしれませんが。

 

そもそも、「自分らしく」だけで生きるということが可能なのでしょうか。

人間社会の中で生きている以上、誰にでも社会の中での役割が割り振られます。

働いていれば「会社員らしく」「上司らしく」「部下らしく」「発注先らしく」「受注先らしく」……他にもいろいろ。

家庭では「父親らしく」「母親らしく」「夫らしく」「妻らしく」「子供らしく」……。

友人関係や知人関係でも、そういった一種の「役割分担」の中で自分の行動を決定していく、ということが多いのではないでしょうか。

 

とすると、真の意味で「自分らしさ」を最優先して行動する機会、というものは、実際にはそれほど多くはないのかもしれません。

「自分は自分、他人は他人」と割り切ってしまえば、「自分らしく」行動することはできるのかもしれませんが、自分の行動というものは、少なからず他人へ影響を与えるものです。

そう考えると、「自分らしく」というものは自分勝手の我儘、になってしまうのではないでしょうか。

風が吹けば、桶屋が儲かるのです。

ブラジルで蝶が羽ばたけば、テキサスで竜巻が起こるかもしれないのです。

 

そもそも、「自分らしさ」というものは、自分で決めることができるのでしょうか。

自分で考えていると思っていても、それは他人からの影響を受けたものであるかもしれません。

視聴したテレビ番組、読んだ書物、他人から聞いた意見……。

それらのものに影響されて「自分」というものは形成されています。

昨日までの考え方とは、180度違う考え方に目覚める、ということもあるでしょう。

「自分」とは、曖昧模糊としていて、すぐに形を変えるものでもあるのです。

 

ならば、「これが自分である」と決めつけてしまえば良いのでしょうか。

おそらく、決めつけた方が楽ではあると思います。

さまざまな局面において、行動や思考のパターンを決めておけば、その都度悩まずに済むからです。

しかし、他人の意見をき入れない、他人の都合を考えないということでもあり、柔軟性や寛容性、幅広さを失うということでもあります。

そう考えると、あまり「自分らしさ」というものを決めつけるというのもどうなのだろう、と思えてしまうのです。

 

ならば結局、「自分らしさ」とは何なのだろうか……。

と、思考はいつまで経っても堂々巡りです。

結論が出ないまま、ブログに思うまま書き連ねてみたのですが、やはりはっきりとした答えには辿り着けませんでした。

文章にまとめてみれば、何かが見えてくるかもしれない……と思ったのですが、どうやら無理だったようです。

 

「自分らしく」という言葉は、非常に耳に心地よく響く言葉です。

「自分らしく生きる」を目標として、日々を努力し、生きているという人も数多くいることでしょう。

その方たちは、確固とした「自分らしさ」というものを見つけられているのでしょうか。

 

一度、聞いてみたいものです。

嫌味でもなんでもない、純粋な疑問として。

「貴方の言う自分らしさとは、いったいどのようなものですか?」と。