zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

今日、信号待ちをしている時に考えた何かの雑念

街を歩いていて道を渡ろうとした時、当然ですが横断歩道を渡ります。

横断歩道を渡ろうとすると、信号待ちになることがあります。

交通ルールは守らなければなりませんし、何よりも信号無視して車に轢かれるのは馬鹿馬鹿しいですから。

 

それは私だけでなく、周囲の方々も同じです。

私はあまり信号待ち中に、道路ギリギリまで近付くのは危ないし好きではないのですが、中には後ろからやってきて、人々の間の隙間を縫うようにして、少しでも前に出ようとする方もいます。

あれってなんなんでしょうかね。

たかだか数メートル程度、先に進んだところで大して時間の節約になるとは思えません。

 

道路ギリギリまで近付くことで、「車に轢かれるかもしれない!」というスリルを味わっているのでしょうか。

退屈な日常にスリルを求める、という気持ちはわからなくもありませんが。

 

それはそれとして。

信号待ちをしている時、前方の赤信号が青に変わるのだけを見ている、という人は少ないと思います。

大概の場合、横目で青信号を見ているのではないでしょうか。

「この青信号が赤に変われば、こっちの赤信号が青に変わる!」

信号機の仕組みとして、当たり前のことなのですが。

 

まあ、この考え方も合理的ではあります。

数秒を惜しんで道路ギリギリまで進む人がいるのですから、信号も変わった直後に渡りたい、という人がいても不思議ではありません。

 

しかし、この渡り方には、大きな罠が潜んでいます。

大きめな交差点で目にすることが多い、矢印式信号機の存在です。

矢印式信号機が青から赤に変わった、「さあ、こちらが青に変わるぞ!」という気持ちになった瞬間、矢印が点灯して別の車を進め始めるのです。

華麗すぎるスルー技術だ、と言えましょう。

 

スルー技術が華麗すぎて、こちらの歩行者用信号が青に変わる前に歩き出してしまう人がいます。

歩き出したはいいけれど、信号は赤のまま。

この事実に気づいた時、取る行動は人によってさまざまです。

 

数歩進んだところで立ち止まり、信号が青に変わるのを待つ人。

いや、あなたが立ってるそこ、道路だから。

めっちゃ危ないから。

 

信号が変わらないことには気づいても、そのまま足を止めない人。

「いや、別に騙されたわけじゃないから。最初からこのタイミングで渡るつもりだったから」

そんなすました顔で歩いていきます。

いや、それただの信号無視ですから。

轢かれても文句言えませんから。

 

足を止めないけれど、だんだんスピードダウンしていく人。

「信号よ、ゆっくり歩いているうちに青になってくれ!」という、強い思いをその背中から感じます。

しかし残念、多くの場合、信号は簡単には青になってくれません。

結果、その人はただ単に「なぜか赤信号の横断歩道をゆっくり渡る人」という、とてつもなく危険な人物となってしまうのです。

たぶん、「止まるのは恥ずかしい、けど赤信号を渡るのは良くない」という真っ当で善良な考えの持ち主のはずなのに・・・・・・。

 

大体これらのパターンです。

不思議なことに、あまり歩道まで戻ってくる人には出会ったことがありません。

やっぱり、いかにも「信号に騙された!」という感じがして恥ずかしいのでしょうか。

そんなところで格好つけても仕方がないだろうに、と思うのですが。

 

最初から、自分が渡るべき信号が青に変わるのをしっかりと待って渡ればこんなことにならなくて済むのですけれどね。

そのくらいの余裕は持って生きていきたいなぁ、と思った次第であります。

こんな「お通し」なら、個人的には満足です

昨日の「お通し」記事について、さまざまな方からコメント、ブックマークをいただきました。
ありがとうございます。

全体的に、やはり「お通しって必要なの?」という意見でした。
まあそうだよね、という感じです。

日本に旅行に来た海外の方とお通しでトラブルになる、という話もあります。
確かに、勝手に出てきて勝手にお金を取られるのですし、日本人でも不満に思っている人が多いのですから、海外の方が不満に思うのも当然でしょう。
「海外でも日本のお通し文化について理解は進みつつある」という話もありますが、全員が全員そう理解して訪日するわけではありません。
日本人も「チップ」の概念を完全に理解して海外旅行に行く人ばかりではないでしょう。
トラブルの種になるようなものは、なくしてしまった方が居酒屋にとっても良いと思うのですが……。

「日本の文化だ」と言う人もいるでしょうが、そもそも居酒屋の店員もなぜお通しを出すのか、ちゃんと成り立ちから説明できる人は少ないのではないでしょうか。
それを「文化」と言われても……という気がします。

「好き嫌いに関わらず出てくる」という意見にも完全に同意です。
幸いにも私は好き嫌いは少ない方ですが、パクチーだけは大の苦手。
もしパクチーがお通しとして出てきたら、そのお店に足を運ぶことは二度とないでしょう。

さすがにパクチーのような個人の好き嫌いが激しい食材をお通しとして出すお店は少ないとは思いますが……。
例えば蕎麦とか海老、蟹とか、アレルギーを持つ人が気付かずに食べてしまったら、とんでもないことになりかねません。
「そういうアレルゲンは自分で注意すべき」と言うのは、ちょっと無責任ではないでしょうか。
自分で注文したならまだしも勝手に出てきた料理で病院送りというのは、お店にとってもあまりにもリスクが高いように思います。

このように考えてみたら、「お通しにメリットってまったくないんじゃない?」と思えてきました。

悪い点ばかり挙げるのもどうかと思うので、「これなら満足かな」と思うお通しの例も挙げておきます。

私がよく行く焼き鳥屋では、「お通し選択制」になっています。
常時2~3種類の煮物とか、一口餃子とか、もやしナムルとか、毎日違ったお通しメニューを用意しています。
何よりも良いところは、「お通しなし」も選べるところ。
メニューにちゃんと料理名と値段も記載されていて、「お通し」と言いながらも「食べたい人は食べてね」な普通の注文扱いです。

デメリットとしては、全員に出すことが確定していないのでそれぞれの料理を大量には作れない、という点でしょうか。
大量に作って全員に出すならばその分コストを抑えられるのですが、それができません。
時々、人気のあるお通しは開店2時間後くらいには「品切れです」と言われてしまうこともあります。

この形式は「スピードメニュー」という形で取り入れている居酒屋もあります。
早めに提供できて、量も値段も抑えめな料理を、通常メニューとは別に提示してくれます。

これならば嫌いなものは食べなくていいし、少なくとも自分で注文するものなのですから、不満も出ないでしょう。

「安くてすぐ出るお通し」ではなく、逆に「豪華なお通し」を出すお店もあります。
いきなり「刺身盛り合わせ」とか「赤海老の塩焼き」とかがドン!と出てくるタイプです。
個人的な印象ですが、日本酒中心の居酒屋とかで多いですね。

こういうお店は、飲み会とかで使えば盛り上がりそうです。
いきなり豪華な料理が「お通し」として出てきたら「凄い!」となるでしょうし、「あのお店、お通しが超豪華だった!」と話題にもなるでしょう。
普通に注文するよりは値段が安く設定されているのは、お店も「話題にしてもらう」=「宣伝料」のように考えているのかもしれません。

ただ、この形式は「好き嫌い」の問題には対応できていません。
さらに「多少安く設定されている」と言っても、100円200円というわけにはいきません。
安くとも一人1000円以上はするでしょう。

1000円と言ったら、黒ホッピーセットを頼んで中焼酎を2回お代わりできる額です。
私のような貧乏性な人間は、いくら豪華でも「1000円払うならホッピー飲みたい」と考えてしまいます。
損得を考えて酒を飲むのもどうか、とは思いますが、やっぱり「損だ」と感じてしまうんですよね。

個人的に「これなら満足」というお通しの例を挙げてみましたが、「だからお通しは出すべき!」という結論に達することはできませんでした。
やはり「お通しは不要」という結論でまとまってしまうようです。

ただ、一つだけ。
先に例として挙げた焼き鳥屋ですが、通い始めたころに店長とお通しについて話したことがあります。
焼き鳥や他の料理の仕込みと並行して、毎日違った料理をお通しとして数種類作るのは大変でしょう、と。

「でも、毎日同じものを出してもお客さんが飽きちゃうし、食べたくないものを出しても悪いしね」
店長は大量の焼き鳥と格闘しながら、笑顔でこう答えてくれました。

このお店は、そんなお店の姿勢と店長の人柄を慕うお客たちで連日満員です。
こういう心からの「おもてなし」の心を伝えられるのなら、お通しも悪くないと思えるのですが……。
今の低コストを追求しなければ売り上げが厳しいと言われる居酒屋業界では、それもちょっと難しいのかもしれません。

食べたくなるお通し、食べたくないお通し

居酒屋に行くとどうしても避けられない問題があります。
それは「お通し」の問題です。

正直に言って、「お通しがなぜ必ず出てこなければならないのか、理解できない」という人の方が多いのではないでしょうか。
私もその一人です。
何故、食べたくもないものをいきなり出され、それを素直に受け入れなければならないのでしょうか。
しかも、サービスならばまだしも、ちゃんとお金は取られるのです。
完全にお店の都合でしかありません。

この、お客のほぼ全員が「不要じゃないの?」と思っている風習が、いまだに、さも当然のように行われていることが不思議でなりません。
いっそのこと「席料」としてお金を取る、という方がまだ納得できます。
そういうものなのだ、と諦めることができます。
なんか「お客のためを思って出している」みたいな顔で出されることに「ちょっと待てよ」という気持ちになるのです。

特に全国チェーン系の居酒屋で出される、キャベツに塩ダレがかけられて、塩昆布が乗せられているみたいなお通し。
私は時々、一人でそういうチェーン系の居酒屋で飲むこともあります。
店員さんとも他のお客とも話す必要がほぼないので、考え事とかしたい時にはけっこう良いのです。

大勢で、箸休め的につまむのであれば、このキャベツもまあ許せます。
しかし、一人の時にこの大皿に乗ったキャベツをお通しとして出されても、正直困るのです。
めちゃくちゃ持て余すのです。
一人で大量のキャベツをもっしゃもっしゃと食べていると、「なんだ、私はウサギか何かだと思われているのか」とわびしい気持ちになるのです。

そういう時は、席に座って注文する際に「お通しってキャベツ?」と聞くようにしています。
「はい」と答えられたら「お通しなしってできます?」と尋ねます。
ここで「大丈夫ですよ」と言ってもらえたら、もうその時点で私のお店に対する評価は頂点に達します。
お通しの分以上にいっぱい頼んで、いっぱいお金を払えるように頑張ります。

しかし、大抵の場合は「ちょっとできないんですよ」と言われてしまいます。
まあ、これはよくあることです。
その場合は「じゃあ、キャベツは出さなくていいです。お通し分のお金は取っていいですから」と譲歩します。

ここで「わかりました」と言ってもらえればなんの問題もありません。
ちょっと不思議そうな顔をされることもありますが、食べたくないものを食べさせられるくらいならお金を払った方がマシです。
しかし、「いや、それもちょっと……」と言われてしまうことがあるのです。

なぜそこまでしてキャベツを出したいのでしょうか。
客がいいと言っているのに。
キャベツを出さないと時給を下げられるとか、店の裏に呼び出されて「なんでキャベツを出さない!」と責められたりするのでしょうか。
キャベツ業界と居酒屋業界の間で、決して破ることのできない協定が結ばれているのでしょうか。
それならば仕方がありません。

書いているうちに、キャベツに対する憎しみがすごいことになってしまって自分でも驚いています。
キャベツは何も悪くないのです。

なんとも微妙なお通しが出て、こちらもそれ以上に微妙な顔になってしまうこともあります。
前日の残り物を煮込んだだけ、みたいな。
美味しければまだいいのですが、冷蔵庫に入っていたと思われる、冷え切った煮物を食べて、こちらは何をお店に対して期待すればいいのでしょうか。

その後にどんなに素晴らしい料理が出てきたとしても、たぶん店を出た後に思うことはこれでしょう。
「でも、お通しがイマイチだったなぁ」
お通し一つで、良い思い出も台無しです。

お通しをどうしても出したい、と言うのなら、お客が喜んで食べるような美味しいものを出してもらいたいのです。
適当に、「何か出しとけばいいや」くらいのものが出てきてしまうから、お通しに対して批判的な意見が多くなってしまうのです。
お通しとは、お店に入って一番に口にする、顔のようなものでしょう。
居酒屋はもっと真面目にお通しについて考えてほしい、と思います。

もちろん、お通しについて真剣に取り組んでいて、美味しいお通しを出してくれるお店もあります。
それを紹介しようと思っていたのですが、けっこう長くなってしまったので……。
明日にでも続きを書くかもしれません。

Twitterでやってる「現金プレゼント」ってすごいよね

昨日、Twitterを眺めていて、「現金プレゼント!」というツイートが流れてくるのを見かけました。

Twitterを始めて日が浅いとは言え、こういう企画があることは私だって知っています。

ZOZOTOWN前澤社長の「1億円プレゼント」とか、すごく話題になりましたしね。

 

これもそういうものの一環なのか、世の中には景気の良い人もいるものだなぁ……とか思っていたのですが。

それにしても桁が違いすぎます。

前澤社長の1億円どころではなく、10億とか20億とか……。

流石に非現実的すぎませんか?と思ったので、ちょっと調べてみました。

 

まあ、結論から言ってしまえば、こういう企画はほぼウソなようです。

それはそうですよね。

前澤社長の二番煎じとは言え、実際にこんなに多くの現金プレゼントが行われているのであれば、少しは騒ぎになってもおかしくないはずです。

「本当に映った心霊動画」とか、めちゃくちゃはっきりと霊が映った映像をテレビで流すことがありますが、それが騒ぎにならないのと同じ。

本当に霊があんなにはっきりと映っていたなら、心霊・オカルト業界だけでなく、科学業界、宗教業界など、至る所が大騒ぎになります。

それなのに、どこも騒がないということは……?

 

加えて、こういった現金プレゼントを行なっているアカウントは、「社長」や「年収○○億」を名乗っていることが多いです。

しかし、どこの誰かははっきりとしません。

前澤社長の現金プレゼント企画で、とてつもない宣伝広告効果がある、と証明されているのに、これらの「社長」は会社の名前や実名を出さないということは……?

 

「年収○○億」の人とかはさらに胡散臭いですね。

いくらお金儲けしているとは言え、無償で他人に施すには限度があります。

「人に喜ばれたいから」とか「皆さんの夢を応援するため」とか、それっぽい理由を書いていますが、ちゃんちゃら可笑しいです。

 

もちろん、お金を稼いだ人の中には、寄付をする人なども大勢います。

しかし、そのほとんどは「誰に」「どのような理由で」「どのくらいの額を」寄付するのか、が明確になっています。

逆に言えば、理由が明確でなければ、大金の提供には違和感しか存在しないのです。

そんなことをするのは、よほどの変わり者か、欲の無い人間くらいでしょう。

そしてそんな変わり者や無欲な人間には、そんな大金を稼ぐことは(不可能とは言いませんが)難しいとは思いませんか?

 

結局、こういった現金プレゼントアカウントの目的は、「フォロワー集め」なのでしょう。

プレゼントの条件として「フォロー&リツイート」がほとんどの場合で提示されていることからも、それはわかります。

ここで集まったフォロワーに対し、一気に情報商材の案内などもできますし、使いようは山ほどあります。

それになにより、フォロアーが大量に集まっているアカウント自体が、高値で取引されているという事実もあります。

 

何より驚いたのが、こういった「いや、どう見ても詐欺じゃないの」と思えるプレゼント企画に、数多くの人が参加してフォローやリツイートをしている、という事実でした。

私がちょっと調べただけでも、どう考えても怪しいという結論しか出なかったのに。

 

いや、フォローやリツイートしている人たちも、本当に現金がプレゼントされるとは思っていないのかもしれません。

でも、万が一本当だったら。

せっかくの大金を手にするチャンスを、みすみすドブに捨ててしまったら。

そう考えると、信じていないながらもフォロー&リツイートしてしまうのでしょう。

「フォロー&リツイートするくらいなら、別に構わないだろう。こちらが損をするわけでもないし」という意見も目にします。

 

でも、ですね。

そういった心でフォロー&リツイートする人間のことを、先方は「ああ、こいつらは欲深くて騙されやすい人間だ」とリスト化しているわけです。

詐欺師にバカにされるとか、悔しくないですかね?

 

オレオレ詐欺(母さん助けて詐欺)」とか「貴方に現金が当たりました」メールとか、昔からあって誰でも知っているような詐欺がまだ生き残っている理由が、この事実を見るとわかるような気がします。

だって、まだこれだけの「騙される人予備軍」が存在しているんですからね。

大量の魚の群れを見つけたら、漁師は網を投げる、当たり前のことです。

 

一応フォローと言うかなんと言うか。

すべてのプレゼント企画が「ウソである」と言うことはないようです。

数千円、数万円とか、ちょっとした小物的なプレゼントとか、○億円に比べると圧倒的に地味ですが、こちらは信頼できる……可能性が高そうです。

あくまでも「可能性が高い」であって、もし貴方が少額プレゼントアカウントに騙されても、私は責任は取りませんが。

 

ファッションの話~「自分の服」に対する圧倒的興味の薄さ~

9月に入り、そろそろ秋用、冬用の衣服を準備しようかと考えています。
気温的にはまだ気が早いような気もします。
しかし、いざ必要な時になって「ナガソデ……洗ッテナイ……シワクチャ……」と哀しきモンスターのような顔で絶望するのは、去年までで終わりにしたいのです。
まあ、しわくちゃでもそこまで気にせず着るタイプの人間ではあるのですが。

「しわくちゃでも……」どころか、そもそも私は自分が着る服に対してまったく興味がない人間です。
サイズが合っていて、暑さ寒さがしのげて、大事な部分が隠れれば問題ない、と考えています。
多分、ファッションに対する興味を母親の胎内に残したまま生まれてきてしまったのでしょう。
もしくはリンゴを食べた直後のアダムとイブレベルの感性の持ち主。

いや、さすがに海外のファッションショーで時折見かける、奇抜すぎるファッションは遠慮したいですが。
「3000年後の未来から来ました」みたいなやつとか。
レディー・ガガの「生肉ドレス」とか(懐かしすぎる話題)。

あ、他人が奇抜な恰好をしているのは別に構いません。
本人が着たくて着ているんでしょうし、ファッションで個性を出すというのも大事ですから。
それをどうこう言うほど野暮ではないつもりです。

時々、「母親が買ってきた服を着ている」みたいなネタが笑い話として語られることがあります。
しかし私は、もし母親が服を買ってきてくれたら、それを喜んで着るでしょう。
着る服に興味がない人間にとって、服を買うというのは非常に面倒くさい、一大事業なのです。
そんなことをしている時間があるなら、正直寝ていたいのです。

一応言っておきますが、私はファッションに興味がある方を批判したいわけではないのです。
私はよく古本市に行って本を買い込んできますが、本に興味がない人は「なんでそんなことを?」と思うでしょう。
「古本市に行く時間があるなら、正直寝ていたい」と。
それと同じことです。
人にはそれぞれ、興味があることとないことがある、ということです。

こんなブログを書いているのも、つい最近「今度服を買いに行こう」というお誘いを受けたためです。
それ自体は構いません。
「こいつ、いつも同じ服を着てるな」という心配、親切心からのお誘いなのでしょう。
それはありがたいことなんです。

でも、「どうだ、嬉しいだろうありがたいだろう」みたいなドヤ顔をされたのがちょっとイラッとしただけで。
本人に直接文句は言えないので、ブログで吐き出してみました。

こんな私ですが、他の方のブログやニュースでファッションの記事を読むのは好きなのです。
「こんなのが流行っているのか」
「面白い服があるんだな」
という感じで、純粋に楽しむことができます。

つまり、私は「自分が着る服」には興味はありませんが、「知識としてのファッション」には興味があるのです。
どうにも極端、頭でっかちな感じが否めませんが、自分はこういう人間だ、と考えるしかありません。

それに今後、私がファッションに興味を持ち始める可能性もゼロではありませんしね。
ある日突然、ブログにファッションの記事を書きだしたら「ああ、この人は何かに目覚めたんだな」と、暖かい目で見守っていただければ幸いです。

「ねばならない」という考え方は長続きしない

8月7日から始めたこのブログも、無事8月いっぱいを乗り越えることができました。
一応の目標としていた「1日1回更新」もなんとかクリア。
読者登録も100名を超え、トータルアクセス数も2000近くと、出発としては上々の結果と言えます。

今まで、mixiの日記や大昔にプレイしていたブラウザゲームの日記コーナーなどで多少書いていた経験はありますが、本格的にブログを書くのはこれが初めて。
右も左もわからない初心者なので、いろいろと不安な点はありましたが、考え過ぎだったのかもしれません。
「案ずるより産むが易し」という言葉がありますが、まさにそれなのでしょう。
今後も気負い過ぎず、この調子で継続できたらと思います。

同時に始めたTwitterに関しては、ほぼ読む専門となってしまっていますが。
まあ、それはそれで新しいブログを見つけたり、他の方のつぶやきを読むことで勉強になったりしていますので、使い方としては間違ってはいないのでしょう。
私は短文でつぶやくよりもブログに無制限にだらだらと書くことの方が向いているようですので。
どちらも充実させるより、ツールとして使い分けした方が気が楽です。

他の方のブログやツイートを読んでいて最近目に付くのが「ブログを継続させるための方法」系のネタです。
「1日1回更新する」
「記事を充実させるため、1記事2000文字程度
「まずは100記事を目指す」
「ネタの探し方」
こういった記事ですね。

この系統の記事が多く書かれるということは、皆さん意外とブログを続けるのに苦労しているのかな、と思うこともあります。
ブログの収益化を目指している方向けに書かれているようなので、私のような「ただ何か書きたいだけ」な人間にとっては当てはまらない部分もあるのでしょう。
それでも読んでいて参考になります。

思うのは、あまりブログを書くことを「義務化」してしまうと、余計に継続が難しくなってしまうのではないか、ということです。
私の場合は好き勝手に、その時書きたいと思ったことを書き流しているだけですので、正直言って気楽です。

ですが、ですね。
先ほどの「ブログを継続させるための方法」を、こう考えてしまったらどうでしょう。

「1日1回更新しなければならない」
「1記事2000文字以上書かなければならない」
「100記事書かなけれなならない」

考えただけでうんざりしてきます。
追い詰められ具合が半端じゃありません。
まず続けることを目標とするのであれば、「ねばならない」という考え方は放棄してしまった方が良いと思うのです。
「自分が楽しめる」こと、それがブログの一番の継続のポイントなのです。

もちろん、「ブログの収益化」「ブログだけで食べていく」が目標の方にとっては、私の言っていることは生温い戯言でしかないでしょう。
お金を発生させるのであれば、それは仕事となります。
仕事である以上、「ねばならない」という考え方は必要不可欠な苦労となるでしょう。
なんの苦労もせず、気楽にやってお金がもらえる、などということはありません。
そんなことが可能でしたら、私だってとうの昔に手を出しています。

あれもやりたい、これもやりたい、ついついいろいろな方面に手を出してしまいたくなってしまうのは確かです。
しかし、あれもこれも、すべてを充実させるのは簡単なことではありません。
まずは自分がブログに対してどのように取り組みたいのか。
継続させることを目指すのか、収益化を目指すのか。
その辺りのスタンスを明確にして、無理はしないようにするのが一番だと思います。

……と、ブログ初心者のくせに偉そうなことを書いてしまいました。
「そんなこと、言われなくても最初からわかっているよ!」という方もいらっしゃるでしょう。
まあ、今日の記事は半ば、自分に向けて書いているところがありますので。
お目汚しだと思って、勘弁していただければと思います。

楽しきかな気楽な飲み会~黒ホッピーとバイス~

昨日は以前勤めていた会社の友人たちと飲み会でした。
以前勤めていた、と言っても、いまだにそこからちょっとしたお仕事を受けていたりするのですが。
ですがその辺は関係なく、あくまでも友人としての飲み会。
気を遣う必要もなく、遣われる必要もなく。
上司的な人間もいないという、好き勝手に振る舞える一番楽しいパターンの飲み会でした。

木曜の夜だから、そこまで混んではいないだろう……と予約はしないでお店に行ったのですが、予想に反して結構な混み具合。
こりゃダメかな……と思ったのですが、店員さんが「もう少し待っていただければ、テーブルのお客さんがお帰りになりますよ」と言ってくれたのでしばらく外で待つことにしました。

こんな時、気楽な間柄の人間しかいないというのは良いものです。
上司とかがいたら「待たせるわけにはいかない!」と急いで他のお店を探さなければ、となってしまいますから。
そのお店、会社の近くなんですが、そこに行くために時々電車で片道1時間かけて通うくらい、私のお気に入りなのです。
安くて美味い、そして黒ホッピーも置いてあります。

しばらく待って無事テーブル席に陣取り、乾杯。
私は当然、黒ホッピー。

「しかし木曜なのに、なんでこんなに混んでるのかね」
「肉の日(29日)だからじゃない?」
「でもここ、肉より海鮮がメインだけど……」
「……海鮮だって魚の肉でしょ」
なるほど、道理……なのでしょうか。

会話の内容は、メンバー的に会社のことが中心になるのは仕方がありません。
まだ関係があるとは言え、私は一応外部の人間。
あまりに深い内容になりそうな時はストップをかけておきました。
こういう部分は気を付けないと、のちのち面倒なことに巻き込まれるのはごめんです。

しばらくお酒と料理、会話を楽しんでいると、ちょうど3杯飲み終わり、黒ホッピーが空になりました。
次も黒ホッピーにするか、別のものにするか……と考えた時に目に入った張り紙が。

バイス、始めました」

これはこれは、また私好みのものを……ということで黒ホッピーからバイスにチェンジ。

説明しますと、「バイス」とは株式会社コダマ飲料が発売している焼酎の割り物です。
飲み方としてはホッピーと同じように、バイスの瓶と「中」焼酎が出されて客が好みで割るパターンとあらかじめお店が混ぜて「バイスサワー」として出してくれるパターンがあります。
このお店は当然、瓶と中焼酎パターン。

味はちょっと甘めで、梅干しの「シソ」の風味がします。
色は薄いピンク色でおしゃれな感じ。
カクテルグラスにでも入れれば、バーのカウンターで飲んでいても違和感がないでしょう。
さっぱりしているので、私はよく「酔い覚まし」のつもりで頼みます。
いや、バイスだって焼酎を割るものですので、れっきとしたお酒ではあるんですがね。

私が子供の頃、祖母がよく畑で栽培したシソの葉を煮出し、砂糖を入れた「シソジュース」を飲ませてくれました。
その味を思い出す、私にとってバイスは「懐かしい味」でもあるんです。

そんなことを話しながらのんびり3時間近く。
さんざん飲み食いした後にお会計を頼むと……思っていたより少々安いのです。

「大丈夫? 間違ってないですか?」
店長さんに聞いてみると「最初にお待たせしちゃったんで、ちょっとだけですがサービスです!」という嬉しい一言が。

お店と良い関係を築いておくと、こういう嬉しいことがあるんですよね。
よく通う、と言っても、入って「こんばんは」と声をかけて、カウンターに座ってずっと本を読みながら飲んでいるような客なので、頻繁におしゃべりするような仲良し関係でもないんですが。
少なくとも嫌われている客ではないようで、安心です。

お店のご厚意をありがたく受け、「またここで飲もう!」と約束して解散。
気楽で、ちょっと懐かしく、お店の親切にも触れられるという、良いことづくめの楽しい飲み会でした。