zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

食べたくなるお通し、食べたくないお通し

居酒屋に行くとどうしても避けられない問題があります。
それは「お通し」の問題です。

正直に言って、「お通しがなぜ必ず出てこなければならないのか、理解できない」という人の方が多いのではないでしょうか。
私もその一人です。
何故、食べたくもないものをいきなり出され、それを素直に受け入れなければならないのでしょうか。
しかも、サービスならばまだしも、ちゃんとお金は取られるのです。
完全にお店の都合でしかありません。

この、お客のほぼ全員が「不要じゃないの?」と思っている風習が、いまだに、さも当然のように行われていることが不思議でなりません。
いっそのこと「席料」としてお金を取る、という方がまだ納得できます。
そういうものなのだ、と諦めることができます。
なんか「お客のためを思って出している」みたいな顔で出されることに「ちょっと待てよ」という気持ちになるのです。

特に全国チェーン系の居酒屋で出される、キャベツに塩ダレがかけられて、塩昆布が乗せられているみたいなお通し。
私は時々、一人でそういうチェーン系の居酒屋で飲むこともあります。
店員さんとも他のお客とも話す必要がほぼないので、考え事とかしたい時にはけっこう良いのです。

大勢で、箸休め的につまむのであれば、このキャベツもまあ許せます。
しかし、一人の時にこの大皿に乗ったキャベツをお通しとして出されても、正直困るのです。
めちゃくちゃ持て余すのです。
一人で大量のキャベツをもっしゃもっしゃと食べていると、「なんだ、私はウサギか何かだと思われているのか」とわびしい気持ちになるのです。

そういう時は、席に座って注文する際に「お通しってキャベツ?」と聞くようにしています。
「はい」と答えられたら「お通しなしってできます?」と尋ねます。
ここで「大丈夫ですよ」と言ってもらえたら、もうその時点で私のお店に対する評価は頂点に達します。
お通しの分以上にいっぱい頼んで、いっぱいお金を払えるように頑張ります。

しかし、大抵の場合は「ちょっとできないんですよ」と言われてしまいます。
まあ、これはよくあることです。
その場合は「じゃあ、キャベツは出さなくていいです。お通し分のお金は取っていいですから」と譲歩します。

ここで「わかりました」と言ってもらえればなんの問題もありません。
ちょっと不思議そうな顔をされることもありますが、食べたくないものを食べさせられるくらいならお金を払った方がマシです。
しかし、「いや、それもちょっと……」と言われてしまうことがあるのです。

なぜそこまでしてキャベツを出したいのでしょうか。
客がいいと言っているのに。
キャベツを出さないと時給を下げられるとか、店の裏に呼び出されて「なんでキャベツを出さない!」と責められたりするのでしょうか。
キャベツ業界と居酒屋業界の間で、決して破ることのできない協定が結ばれているのでしょうか。
それならば仕方がありません。

書いているうちに、キャベツに対する憎しみがすごいことになってしまって自分でも驚いています。
キャベツは何も悪くないのです。

なんとも微妙なお通しが出て、こちらもそれ以上に微妙な顔になってしまうこともあります。
前日の残り物を煮込んだだけ、みたいな。
美味しければまだいいのですが、冷蔵庫に入っていたと思われる、冷え切った煮物を食べて、こちらは何をお店に対して期待すればいいのでしょうか。

その後にどんなに素晴らしい料理が出てきたとしても、たぶん店を出た後に思うことはこれでしょう。
「でも、お通しがイマイチだったなぁ」
お通し一つで、良い思い出も台無しです。

お通しをどうしても出したい、と言うのなら、お客が喜んで食べるような美味しいものを出してもらいたいのです。
適当に、「何か出しとけばいいや」くらいのものが出てきてしまうから、お通しに対して批判的な意見が多くなってしまうのです。
お通しとは、お店に入って一番に口にする、顔のようなものでしょう。
居酒屋はもっと真面目にお通しについて考えてほしい、と思います。

もちろん、お通しについて真剣に取り組んでいて、美味しいお通しを出してくれるお店もあります。
それを紹介しようと思っていたのですが、けっこう長くなってしまったので……。
明日にでも続きを書くかもしれません。