zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

大相撲2020年初場所、すでに開催しています

遺影だの葬式だの、いろいろなことを考えているうちに、大相撲の初場所が始まっていました。

忘れていたわけじゃないんですけどね。

人生にはいろいろと、タイミングというものがありまして。

 

それはともかく、今場所の注目はやっぱり新関脇の朝乃山関でしょう。

大関へ一番近い場所にいる、と言っても過言ではないでしょう。

ちょっと前までは御嶽海関がその場所にいたのですが、どうにも足踏み状態が続いてしまっているので……。

 

朝乃山関は押し相撲だけでなく、組んでも相撲を取れるという点が安定しています。

押し相撲はどうしても、場所によって好不調の波が激しくなるものですから。

どちらもできる力士というのは器用貧乏、地味な存在になってしまう可能性もありますが、朝乃山関の場合は2019年の最多勝力士ということからも、平均以上に安定した強さを発揮してくれると期待しています。

(55勝という最小勝ち星の年間最多勝とは言え、ね)

今場所で優勝争いができるようなら、大関は目の前ですよ、ぜひ頑張ってもらいたいです。

 

人気の炎鵬関も頑張ってほしいですが……どうにもやっぱり相撲の取り口が気になります。

身体が小さいから相手の胸元に潜り込む相撲。

滅多にいない取り口の力士だけに面白く、小さな力士が大きな力士に勝つ、という相撲の醍醐味を味合わせてくれるのですが……。

 

やっぱり見ていて、怪我が心配になってしまうんですよね。

二日目の正代関との取組、頭を下げて相手の胸元に潜り込んだまま押し潰されるような形になって、一瞬ヒヤリとしました。

いつか首、頸椎を怪我してしまうのではないか、と。

 

首の怪我は相撲生命どころか、その後の生活にまで影響する可能性がありますからね。

正々堂々と相手にぶつかっていく相撲は私も好きですが、かつての舞の海さんのように離れた状態でも相手の意表を突くような取り口も身に付けたら、もっと面白い存在になれるのではないか、と思います。

 

今場所で言えば、初日に鶴竜関、二日目に白鵬関を連破した遠藤関。

「未完の大器」のまま終わってしまうのでは……と心配もしていたのですが、この調子で再ブレイクしてほしいです。

 

あと、新入幕の霧馬山関もいいですね。

土俵際に追い詰められても勝負を諦めない姿勢、そしてそこから逆転してしまう相撲勘の良さを感じます。

初場所を引っ掻き回す存在になってもらいたいです。

 

心配なのが上位陣。

白鵬関、鶴竜関の両横綱が三日目で二敗。

相撲自体は悪くないとは思うので、今後の巻き返しに期待したいところです。

 

が、̚カド番大関豪栄道関の元気のなさが気になります。

関脇に下がって十勝で大関復帰を目指す高安関も、強かった時代とは比べ物にならない、ギリギリ勝っている感じですし。

 

そろそろ世代交代が本格的に始まるかな、という印象です。

それ自体は仕方がありません、死ぬまで強い力士なんていないのですから、世代交代は必ず起こるものですから。

 

でも、「上位陣が弱くなったから下が上がってきた」より「強い上位陣を倒す力士が出てきた」という方が、盛り上がるじゃないですか。

正直、ここしばらく「今場所はイマイチ面白くなかったな」という本場所が続いていましたので。

ここで一つ「また盛り上がってきたじゃない!」と思えるような活躍を見せてくれる力士が出てくることを期待したいですね。

遺影がどうこう以前に自分の葬式について心配になったアラフォーオヤジ

昨日の日記では「自分の写真を最近撮っていないから、葬式の時の遺影が心配」という内容を書いたアラフォーオヤジです。

でもですね、よく考えてみたら遺影の心配をする前に心配しなければならないことがあったんですよ。

「そもそも、自分の葬式をしてもらえるものなのだろうか」と。

 

一応両親が生きていれば、葬式くらいしてくれるとは思います。

でも、親より先に死んで親を悲しませたくもないので、一応親よりは長生きするつもりでして。

兄弟がやってくれる可能性もありますが、ひょっとしたら私が兄弟最後の生き残りになる可能性も捨てきれませんからね。

そうすると、イマイチ誰が自分の葬式をしてくれるのか、ちょっとピンと来ないわけでして。

 

そもそも「そこまで葬式をしてもらいたいか」と言われれば、そうでもないんです。

別にしたけりゃすればいいし、したくなければしなくても構わないんですわ。

一応新鮮な死体の内に焼いてお墓に入れてもらいたいとは思いますけどね。

でもそれは「腐ったまま放置されて他人に面倒を掛けるのも悪いし」「遺骨をその辺に捨てると死体遺棄になっちゃうし」くらいの理由です。

 

実際、駅のコインロッカーに遺骨を入れたまま放棄したり、電車の中にわざと忘れていったりする、という事例は多いようでして。

確かに「お墓がない」という人にとっては、遺骨の扱いって困るものですからね。

その点、私は一応故郷に一族のお墓がありますので、他人に迷惑にならないようにそこに放り込んでおいてくれれば助かるかな、と。

 

ともかく、他人に迷惑が掛からなければどう扱ってくれても構わない、というのが本音です。

世の中には自分の葬式について「あげてほしい」「あげてほしくない」だの、「お墓はいらない」「遺骨は海に撒いてほしい」だの注文をつける人が多いそうですが。

 

何を死んでからのことまでワガママを言っておるのか、と。

葬式も遺骨の扱いも、実際にする人たちが好きなようにするのが一番だろう、と。

そもそも自分の希望通りにならないからと、文句を言えるわけでもないですし。

死んでるんだから。

化けてまで文句を言いに来るようだったら、それはそれで大したもんですよ。

 

そもそも葬式ってものは、死んだ人のためじゃなく残された人のためにするものだと思うんですよね。

葬式をすることで「ああ、この人は亡くなったんだな」とけじめをつける儀式なわけでして。

だから残された人たちが「死んだね」「そうだね」で納得できるなら、わざわざ葬式なんてする必要もないわけです。

 

もちろん「故人の遺志を尊重して」という意見もわかります。

「願い通りにしてあげた」という気持ちから生まれる安心感、というものもあるでしょうしね。

 

ただ、「お墓はいらない」とか「遺骨は海に撒いてほしい」とかになりますと、ちょっと考えるべきではあるかな、と思います。

実際に故人の遺志でお墓を作らず、散骨した方の中には「お墓参りもできないし、お骨に手を合わせることもできない。本当にこれで良かったのだろうか」と悩んでしまう人もいる、とのことですし。

 

私は「自分が死んだ後のことはどうでもいい」派ですが、亡くなった人のことを大事に思う気持ちというものも大事だと思います。

そういうことを考えると、亡くなった人のことだけでなく、残された人間もちゃんと納得できる形ですべてを終わらせることができる、ということが重要なのかな、と考えるわけです。

 

なんか久々に真面目な記事書いたら疲れちゃいましたわ。

居酒屋で相撲でも見て気分転換してきます。

私は自分の写真をほとんど撮らない男です

ちょこちょこお仕事で写真を撮影する機会があるます。

と言ってもそれほど本格的に写真について勉強しているわけでもなく、イベントの取材をしてその様子を撮影する程度。

とてもではありませんが「カメラをやってます!」と言えるようなレベルでは到底ありません。

 

最近のデジカメはとても優秀でありがたいですね。

ピントも露出もシャッタースピードも環境に合わせて全自動で設定してくれます。

どうしても気になる点があればフォトショップという最終手段もありますし。

私のような素人に毛が生えた程度の人間であっても、それなりの写真を撮ることができます。

 

先日もそんな感じでカメラを扱っていたのですが、その時気付いたのです。

「そう言えば私、自分の写真を最後に撮ったのっていつだっただろうか」と。

 

世間の人々はどこかに出掛けたら記念撮影をして「今ここに来てます!イェイイェイ!!」というもの、と考えています。

複数で行った時はもちろん、一人の時も自撮りとかするんですよね。

で、ネットにアップして「イェイイェイ!」と自慢するんですよね(多少偏見が入っているかもしれませんが)。

 

私にはそういう発想が皆無でして。

時にはどこかに出掛けることもありますが、写真など撮ったことがありません。

そもそも仕事以外でカメラを持ち歩きませんし、スマホのカメラ機能もほとんど使ったことがありません。

「思い出を写真として残しておく」という考え自体を持っていないんです。

 

以前友人たちと話していて「自撮りがどうこう」という話題の時に「地鶏の話で何を盛り上がっているのか?」としばらく不思議に思っていた、そのくらいのレベルです。

でも最近、ふと「私が事故や急病で突然死んだら、遺影はどうなるのかな」と突然考えてしまいましてね。

 

いや、時々ニュースで何か事件が起こると、容疑者の写真が出ることがあるじゃないですか。

そんな時、明らかに卒業アルバムか何かから持ってきたような写真が出てくることってありません?

「さすがにこの写真は古いだろ、もっとマシな写真はなかったの?」と思ってしまうようなこと。

 

でももし私が突然死んだ時、ちゃんとした写真がなければ、それと同じ感じで遺影が卒業アルバムから持ってきた写真になってしまうのではないか、と。

それはさすがにマズイのではないかな、と思ったんです。

もうアラフォーオヤジのくせに、遺影が学生服はキツイだろう、と。

少なくとも私が友人の葬式に行って遺影が学生服だったら、さすがに笑わないまでも「オイオイ」とツッコミ程度は心の中で入れてしまうと思います。

 

で、一生懸命最近自分が写真を撮った時のことを思い出していたんですけどね。

親族の結婚式で撮った集合写真くらいしか思いつきませんでした。

一応礼服ではありますが、白ネクタイ。

めでたいんだかめでたくないんだか。

 

まあ多分そういう時は、それこそフォトショップとかでうまく顔だけ切り取って、それっぽい服に合成してくれるんでしょうけど。

技術の進歩、素敵です。

 

そんなことを考えて「遺影に使えるような写真、撮っておいた方がいいのかな?」とか思いましたけどね。

わざわざそんなものを撮影して「これを遺影に使ってください」と言っておくのも、なんか自意識過剰なんじゃないか、と思ったり。

 

そもそも、自分の写真なんて恥ずかしくて撮れないんですよ。

写真を撮ってそこに写された自分の姿を見たくありません。

「わっ!キムタクかと思った!」とでも言えれば幸せですが、そこに写るのは小汚いアラフォーオヤジが不慣れな感じでひきつった笑顔を浮かべた姿だけです。

遺影どころか「この顔にピンと来たら110番!」レベルでしょう。

 

と言うわけで、結局遺影については「誰かが何とかしてくれるだろう、そもそも私はその時死んでいるんだから、どんな写真でも別にいいや」と思って諦めることにしました。

遺影は自撮りみたいに「イェイイェイ!」と気軽に撮っておくようなものでもありませんしね。

遺影だけに。

 

なんか最近オヤジギャグがひどいですね。

脳に異常をきたしているのではないか、とちょっと心配。

お寿司がつまみたくなって「スシロー」へ赴く

昨日のことなんですけどね、なんだか急にお寿司がつまみたくなったんですよ。

昼過ぎくらいで、ちょうど小腹が減ってきたタイミングです。

スーパーで買ってきても良かったんですけど、最近ちょっと引きこもり気味だったのでちょっと外にも行きたいな、と。

 

こんな時は回転寿司でしょう。

そこまでガッツリ食べたいわけでもないですし、軽く何皿かつまむ程度ならそんなにお高くもありませんし。

1人で入ってサクッと食べて出てくるにはピッタリ。

というわけで、自宅から一番近い回転寿司屋「スシロー」さんへ。

 

自宅から一番近いと言いながら、実は入店するのは初めてでした。

いや、なんか休日にちょくちょくお店の前を通ることはあったんですが、その度に待合室が人でいっぱいなのを見て、とてもじゃないけれど入れないな、と思っていたんです。

いや、人気ありますよね、回転寿司。

気楽だし、1人でもファミリーでも楽しめるし、その気持ちわかります。

 

でもまあ、平日で1時過ぎ、というランチタイムも外したタイミングだったので、余裕で入店できました。

それでも店内はそこそこ賑わっていましたが、誰も彼も会社員というわけではないですからね。

 

ただ、そこそこ空席もあるためか、レーンの上にはあまりお寿司は回っていませんでした。

私は注文するより、レーンの上で回っているお寿司を「あ、あれ美味しそう」と思って食べるのが好きなタイプの人間なので、その点は少し残念でしたが、あまり贅沢は言えません。

というわけでタッチパネルで注文することにしたのですが……。

 

「新春名物!てんこ盛り祭」

 

こんな文字が目に飛び込んできました。

いや、なんかすごいんですよ。

シャリの上に「これでもか!」というくらいホタテだのビントロだの甘エビだのが乗っかったお寿司の数々。

それでいてお値段は普段と同じ100円とか150円とか。

高くても「どか盛りいくらサーモン」「ローストビーフマウンテン」の300円。

 

いや、まあ、頼みますわ。

せっかくですし。

お寿司だけにせっかくで「すし」。

忘れてください。

 

で、実物が席に届いたんですが……。

もうね、すっごいの。

まさにどか盛り。

思わず「けしからん!」と叫ぶそうになるくらい。

 

だってですね、もうシャリとネタのバランスとか関係ないんですよ。

多分、厨房では北斗の拳的なモヒカン店員が「とりあえず寿司って言いたいから、シャリの上に刺身をいっぱい乗せましたぜ、ヒャッハー!」て叫びながら作ってるんだろうな、と。

そう考えないと納得できない感じ。

 

流石にこれを一口で食べるわけにもいかないので、とりあえず乗っかってるネタを外して量を調整しますよね。

そうすると、通常のお寿司とお刺身ができるわけですよ。

お寿司は美味しくいただくとして、問題はお刺身。

お寿司ならお茶でいただけるのに、お刺身をお茶でいただくことができるでしょうか?

いや、できない(個人の感想です)。

 

というわけで、ついビールを頼んじゃいました。

全然飲むつもりはなかったのに。

でもね、昼からお刺身をつまみに飲むビール、めっちゃ美味しかった……。

 

流石に昼から呑んだくれるわけにはいかないので、1杯に留めておきましたが。

でもビールとお寿司数皿で十分満足できて、しかも1000円いかなかったので、お得な気分になれました。

 

まあ、昼ビールが呼び水になってしまったのか、その夜は居酒屋で飲み過ぎて散財してしまったんですけどね。

ただこれは私の意思の弱さが悪いだけなので、スシローさんには何の責任もありません(当たり前)。

 

なんだかスシローの回し者みたいになってしまいましたが、当然そんなことはありません。

スシローさんだって回し者にするなら、もっと有名なブロガーさんを選ぶでしょうしね。

 

とにかく一番言いたかったのは、「回転寿司行くなら平日昼過ぎに限る」ということです。

「てんこ盛り祭」ももうしばらくやっているみたいですし、ご興味ある方はぜひどうぞ。

 

私ももう一回くらい行きたいところですが、回転寿司昼ビールの快感が癖になっても困るしな……悩むところです。

新年会のシーズンが始まりましたね

年末は「忘年会」という理由で、さまざまなところに呼ばれたり、友人たちと集まったり、とにかく飲みまくりました。

そして今、「新年会」という理由でさまざまなところに呼ばれたり、友人たちと集まったりしています。

 

今月いっぱい、週末はほぼ新年会で埋まっています。

また飲みまくることになるのでしょう。

いくら私がお酒大好きとは言っても……辛いわー(棒読み)。

 

昨日も新年会で飲みまくった結果、帰宅が真夜中になってしまい、ブログを書くことができませんでした。

「今年はできるだけ毎日更新に改めてチャレンジしてみるかな」とチラッと思ったのに、10日ももたずにこの体たらく。

チラッと思う程度にしておいて良かった、と改めて思います。

人間、無理はいけませんよね。

 

ところで忘年会シーズンも「忘年会が嫌い」という話題で盛り上がりましたが、やっぱり新年会も「嫌い」という人は多いのでしょうね。

「忘年会は嫌いだけど、新年会は大好き!」という人には出会ったことがありませんので、おそらくこの考えは正しいことと思います。

「嫌いだけど会社の行事で全員出席が決まっていくから行かなくちゃならない」と言う人にとっては、さぞかし憂鬱な季節なのではないでしょうか。

 

正直、「忘年会or新年会=飲み会」という図式をそろそろ考え直すべき時代となっているのではないか、と思います。

忘年会、新年会が嫌われる理由としては、完全に飲み会とセットになってしまっているという部分が大きいのではないでしょうか。

お酒を飲まない、飲めない人にとって、酒飲みが飲んで騒ぐ場に付き合わされるのも苦痛でしょうし、同じ料金を支払わなければならない、という点も苦痛でしょう。

酔っ払って前後不覚に陥った人間の世話を「素面だから」という理由で押し付けられることもあるかもしれません。

これでは「忘年会or新年会なんか行きたくない」と考えるのも当然でしょう。

 

確かに忘年会、新年会には、社員が全員で一年を〆る、一年の始まりに決意を新たにする、という側面があります。

しかしそれであるなら、みんなで会議室など広い場所に集まって何かしら「お疲れ様でした」「今年もよろしくお願いします」の会でも開けばいいんじゃないでしょうか。

その後、希望者は飲み会すればいいんです。

飲み会に行きたくない人はそこで解散すればいいだけですからね。

 

どうしても飲み会にしたいのであれば、せめて飲まない人の参加費は少なめにするべきでしょう。

そもそも、居酒屋の宴会プランが「飲み放題+コース料理」という設定ばかりなのが問題です。

「ノンアルコールドリンク飲み放題+コース料理」という、少しお安めなプランがあって、きっちり金額に差を付けられれば、不公平感も多少は抑えられるのではないかと。

 

……まあ、絶対に「ノンアルコール」プランの人数を少し多めに申告して、実際はその人数以上にお酒を飲むような悪いことを考える人も出てくるでしょうから難しいかもしれませんが。

お店側が厳密にその辺をチェックできるか、と言われたら、まず不可能でしょうし。

 

なんだかんだ言って、一番悪いのは「飲み会だから」と羽目を外して飲み過ぎる人間なんですけどね。

お酒を飲めない人にも気を遣って、騒いだり説教したりセクハラ、アルハラしたりする人間が減ってくれることが一番の対策なわけです。

 

私はお酒は大好きですが、酔って騒いだり暴れたりする人間は大嫌いですので、そういう場面を見掛けたら「飲み過ぎだよ」と注意してお水を頼むようにしています。

それを受け入れない人間は、表面的にはその後も普通に付き合いますが心の中ではメチャクチャ軽蔑しています。

 

一緒にお酒を飲むと言うか、一緒に食事をするという場は、確かに親睦を深める機会にはなると思います。

でもその場が誰かに嫌な思いをさせてしまう場になってしまっては、本末転倒でしょう。

忘年会、新年会が本当の意味で「皆で楽しみ、親睦を深める場所」になってくれればいいんですけれどもね。

1月7日の日記にいただいたコメントへのお返事

昨日、1月7日に書いた『「頑張って」と気楽に言えない風潮が面倒くさいと思う』にそれなりの数のコメントをいただきましたので、そのお返事をこちらで書こうと思います。

いや、はてなブックマークのコメントって、自分でブックマークしないと返信できないんですね。

別にそういう仕様なんだから怒られたりはしないでしょうけど、なんとなく気が引けたのでこちらでお返事させていただきます。

 

>イチイチさん

他人のことを考えて発言する、というのは大事なことだとは思いますけどねぇ。

相手のためを思って言った言葉で不快になられても、こっちだって困ってしまいますよね。

「やれるところまで~」は結構いいかもしれませんね。

参考にさせていただきます。

あと、ガッツリ伏せた「〇〇ん〇んびろーん」にシモネタをどこまで伏字にするかに人間性が出るのかもしれない、と思いました。

私は1文字しか伏せなかったのに……。

 

>Sinnさん

ネコも意外と大変なんですね。

あいつら、もっと気楽に生きているものだと思っておりました。

カワイイチアリーダー……つまり、私にコスプレしろ、ということですね(違う)。

好みの相手から言われたら喜んで、そうでない相手から言われたら不快に思う……それはそれで頭に来ますな。

まあ、人間ってそんなもんなのかもしれませんが……。

 

>えるさん

私もえるさんのコメントを読んで気付きましたが、確かに「頑張って」ってある程度親しい相手にしか使わないんですよね。

相手が不快に思うかどうかもありますが、親しい相手に使う気安い言葉、というイメージがあるんですよ、私だけかもしれませんが。

でもだからこそ、ある程度親しい相手から言われてそんなに不快か?とも思ってしまうんですよね。

でもえるさんのように「頑張って」が好きという方もいらっしゃるようで、ちょっと安心しました。

 

ここからはブックマークでいただいたコメントへのお返事です。

 

>3回連続10cmさん

「あんたならできる」ですか……。

悪くはないかもしれませんが、なんだか大袈裟な感じがしますよね。

なんだか「自己啓発セミナーとかで連呼されてそう……」というイメージを抱いてしまいましたが、これは私の偏見でしょうか(笑)。

あ、でも松岡修造さんが「あんたならできる!」と言ってくれたら素直に受け入れられそうな気がします。

やっぱり「言う人次第」という部分も大きいんですかね?

 

>やすまるさん

頑張れ=挨拶程度に同意してくださってありがとうございます。

そうなんですよ、言ってる方は大して考えているわけではないけど、聞いた方が重く受け止めてしまう場合があるって部分が面倒に感じてしまうんですよね。

こちらには悪気はまったくないというのが、またどうしていいのかわからなくなるんですわ。

ライガー選手は1月5日の東京ドームで引退しました!

私が中学生くらいの頃からずーっとジュニアヘビーのトップとして活躍していたんですから、本当にお疲れですよね。

テンコジはまだ頑張ってますよ、さすがに第一線からは引いてる感じですけど。

 

>つくもさん

その通りなんですが、相手を「頑張って」が嫌いかどうかが見るだけじゃわからないのが難しいですよね(笑)。

だからって誰彼構わず「頑張って」と言ってみて反応を試すのも「頑張ってテロ」みたいでマズイでしょうし。

結局「頑張って」を使わないというのが、一番手っ取り早くて一番確実な対応になってしまうんですよねぇ。

 

以上、コメントをくれた皆さん、どうもありがとうございました。

 

「頑張って」という言葉を嫌いだという人、言ってほしくないという人がいることは仕方がないと思うんですよ、面倒くさいけど。

でも最近、それがエスカレートして「頑張ってと言う人間が悪い」「頑張ってという言葉は良くない言葉」みたいな風潮が出てきているんじゃないかな、と感じたのが、昨日の日記を書いた一番の理由みたいです。

コメントを返しながら自分の考えをまとめてみて、そこに思い至りました。

 

昨日はただ単に「面倒くさい」というモヤモヤした気持ちだったのが、明確に言語化できた気がします。

今までコメントにお返事とかちょっと気恥ずかしくてなかなかできなかったんですが、今後は機会があったらお返事させていただこうかと。

自分の考えと他の方の考えをミックスさせて考え直す、いい機会になりそうですので。

 

というわけで今後も何かありましたらコメントいただけたら嬉しいので、よろしくお願いします。

 

コメントのお返事なので短くなるかと思ったら、普段の記事よりも長くなっているという驚き。

「頑張って」と気楽に言えない風潮が面倒くさいと思う

なんか「頑張れ」という言葉、嫌われてますよね。

私も最近、知人と仕事の話をしている時、流れで「頑張れば」と言ったら「あんまり頑張れ、という言葉は使わない方がいいよ」と言われました。

「頑張れ」と言われると「頑張っていないように見えるのか」とか「これ以上頑張れって、どうすればいいんだ」とか思う人が多いそうです。

特にうつ病の人とかがそう感じてしまうそうで。

 

いや、個人的には「知らんがな面倒くさい」なんですけどね。

うつ病になる人って、基本的に真面目なんですかね。

言葉をそのまま受け止めてしまうから、「頑張れ」と言われると今以上に頑張らないといけない=無理をしなくてはいけない、と思ってしまうのでしょう。

 

まあ、私のようなタイプでも「適応障害」と「うつ病」と診断されて休職した経験がありますので、人それぞれなんでしょうけど。

 

仕事の話の流れで出てくる「頑張って」なんぞ社交辞令のようなものだと思って、受け流せばいいんですよ。

朝に「おはようございます」、飯食う前に「いただきます」、別れ際に「さようなら」と言うのと同じレベルの言葉です。

それなのに「頑張る」という言葉をことさら特別なものとして考えてしまうから、何でもない言葉なのに嫌いになってしまうんですよ。

 

別に私も、無理に「頑張れ」と言いたいわけではないので、言われて「嫌だ」と思う人がいるのならば今後はなるべく使わないようにしようかと思いますが。

でもそうすると、別の問題が出てくるんです。

これまで「頑張って」で埋めていた会話部分を、何で埋めればいいのか、という問題が。

 

いや、仕事の話をしていて会話を打ち切る時って、「ふーん、じゃ、頑張って」で〆るのが楽なんですよね。

「これで会話は終わり、仕事に戻りなさいな」というニュアンスをそれとなく伝えることができると思いませんか?

 

というわけで、最初に登場した知人と緊急会議が行われました。

第1回『「頑張って」の代わりに何と言えば自然に会話が終わるのか』会議の開催です。

こういう流れになるということは、もちろん2人で飲んでいた、ということです。

酔っ払いはすぐにどうでもいいことで会議を開きます。

 

「ファイト、とか?」

「それじゃ、頑張って、と大して変わらないんじゃない?」

「適当にやりなさい、か」

「なんかそれ偉そうに思えないか、上から見てる感がする」

「いっそのこと、何にも関係ない言葉にするとか」

「関係ない……ネコ可愛い、とか」

「イヌ派に対して失礼に当たるのでは」

「……なんか急に思い出した言葉があるんだけどさ」

「なに?」

「おち〇ちんびろーん……どう?」

「いや、確かに関係ない言葉だけど、逆に言ってる方がヤバい人間だと思われるだろ」

 

すっごく短くまとめましたが、実際はこんな内容を1時間くらい話していました。

新年ですからね、仕方ないですね。

 

それで結局、答えは出なかったんですけどね。

結論が出る前に2人ともどうでもよくなって、新日本プロレスの東京ドーム大会の話になっていました。

ライガー選手、お疲れ様でした。

 

それはともかくとして。

結局「頑張って」の代わりの言葉としては何が正解なんでしょうね。

ちょっと考えたんですが「何か手伝えることあったら声かけて」とか、どうですかね。

「頑張りすぎないで人を頼っていいんだよ」という思いやりと応援の心を伝えられるのではないでしょうか。

 

まあ、これでも「自分に任せてはいられないということか」とマイナス方面に受け止めてしまう人はいるでしょうけど、そこまで面倒見てられないです。

そんなことを言い出したら、何もしゃべれなくなってしまいますし。

 

あと、万が一本当に「手伝ってください」と言われた時に、嫌な顔しないようにしないといけませんね。

「声かけろ」と言っておいて嫌がるとか、超絶裏切り行為ですから。

嫌でも笑顔で「ドンと来い!」という対応をしなければなりません。

 

……うーん、人間と会話するって、いろいろと気を遣って大変だなぁ。

ネコになりたい。