zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

私は自分の写真をほとんど撮らない男です

ちょこちょこお仕事で写真を撮影する機会があるます。

と言ってもそれほど本格的に写真について勉強しているわけでもなく、イベントの取材をしてその様子を撮影する程度。

とてもではありませんが「カメラをやってます!」と言えるようなレベルでは到底ありません。

 

最近のデジカメはとても優秀でありがたいですね。

ピントも露出もシャッタースピードも環境に合わせて全自動で設定してくれます。

どうしても気になる点があればフォトショップという最終手段もありますし。

私のような素人に毛が生えた程度の人間であっても、それなりの写真を撮ることができます。

 

先日もそんな感じでカメラを扱っていたのですが、その時気付いたのです。

「そう言えば私、自分の写真を最後に撮ったのっていつだっただろうか」と。

 

世間の人々はどこかに出掛けたら記念撮影をして「今ここに来てます!イェイイェイ!!」というもの、と考えています。

複数で行った時はもちろん、一人の時も自撮りとかするんですよね。

で、ネットにアップして「イェイイェイ!」と自慢するんですよね(多少偏見が入っているかもしれませんが)。

 

私にはそういう発想が皆無でして。

時にはどこかに出掛けることもありますが、写真など撮ったことがありません。

そもそも仕事以外でカメラを持ち歩きませんし、スマホのカメラ機能もほとんど使ったことがありません。

「思い出を写真として残しておく」という考え自体を持っていないんです。

 

以前友人たちと話していて「自撮りがどうこう」という話題の時に「地鶏の話で何を盛り上がっているのか?」としばらく不思議に思っていた、そのくらいのレベルです。

でも最近、ふと「私が事故や急病で突然死んだら、遺影はどうなるのかな」と突然考えてしまいましてね。

 

いや、時々ニュースで何か事件が起こると、容疑者の写真が出ることがあるじゃないですか。

そんな時、明らかに卒業アルバムか何かから持ってきたような写真が出てくることってありません?

「さすがにこの写真は古いだろ、もっとマシな写真はなかったの?」と思ってしまうようなこと。

 

でももし私が突然死んだ時、ちゃんとした写真がなければ、それと同じ感じで遺影が卒業アルバムから持ってきた写真になってしまうのではないか、と。

それはさすがにマズイのではないかな、と思ったんです。

もうアラフォーオヤジのくせに、遺影が学生服はキツイだろう、と。

少なくとも私が友人の葬式に行って遺影が学生服だったら、さすがに笑わないまでも「オイオイ」とツッコミ程度は心の中で入れてしまうと思います。

 

で、一生懸命最近自分が写真を撮った時のことを思い出していたんですけどね。

親族の結婚式で撮った集合写真くらいしか思いつきませんでした。

一応礼服ではありますが、白ネクタイ。

めでたいんだかめでたくないんだか。

 

まあ多分そういう時は、それこそフォトショップとかでうまく顔だけ切り取って、それっぽい服に合成してくれるんでしょうけど。

技術の進歩、素敵です。

 

そんなことを考えて「遺影に使えるような写真、撮っておいた方がいいのかな?」とか思いましたけどね。

わざわざそんなものを撮影して「これを遺影に使ってください」と言っておくのも、なんか自意識過剰なんじゃないか、と思ったり。

 

そもそも、自分の写真なんて恥ずかしくて撮れないんですよ。

写真を撮ってそこに写された自分の姿を見たくありません。

「わっ!キムタクかと思った!」とでも言えれば幸せですが、そこに写るのは小汚いアラフォーオヤジが不慣れな感じでひきつった笑顔を浮かべた姿だけです。

遺影どころか「この顔にピンと来たら110番!」レベルでしょう。

 

と言うわけで、結局遺影については「誰かが何とかしてくれるだろう、そもそも私はその時死んでいるんだから、どんな写真でも別にいいや」と思って諦めることにしました。

遺影は自撮りみたいに「イェイイェイ!」と気軽に撮っておくようなものでもありませんしね。

遺影だけに。

 

なんか最近オヤジギャグがひどいですね。

脳に異常をきたしているのではないか、とちょっと心配。