zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

気付いたらバレンタインデーもいつの間にか過ぎていた

昨日はバレンタインデーでしたね。

案の定、私には縁がありませんでした。

ここで若者であれば、バレンタインデーにイチャつくカップルたちに向かって「リア充爆発しろ!」と呪いの言葉を投げかけるところなんでしょうが。

アラフォーにもなれば、バレンタインデーに縁がなくても落ち着いたものですよ。

 

そもそも、金曜日というのがズルいですよね。

世間的には、翌日から休みということで、すでに心が浮ついている状態になっているわけです。

そんなすでに浮ついた状態にバレンタインデーを配置されたら、気付かない人間は気付けませんよ。

 

これは、バレンタインデーという日が自己保身に走った結果だと思うんです。

卑怯ですよね。

自らが「浮ついた行事」であることを隠すために、世間全体が浮つく金曜日にやってくるだなんて。

「木を隠すなら森の中」理論ですよ。

 

どうせなら月曜日とか連休明けとか、なんとなく心が沈む時期に配置してもらった方がいいと思うんです。

その方が、バレンタインデーという行事の軽薄さがより強調され、「バレンタインデー憎し!」の声が世界的に高まることでしょう。

 

いや、私自身はバレンタインデーなんてまったく意識していないんですよ?

もちろん憎いなんてことはありません。

むしろカップルたちを祝福したいくらいですよ、「おめでたいですなぁ」と。

 

……なんか棘がある言い方に見えるかもしれませんが、気のせいですよ。

 

それはそれとして、夜になってからバレンタインデーに気付いた私はスーパーへと走りました。

「ロッテのチョコパイ一箱を牛乳飲みながら一気に食べる」を敢行するためです。

私のバレンタインデーには欠かせない行事なのです。

 

さすがにアラフォーにもなると、チョコパイ6個は少々キツイものがありますな。

ちょっと今も胸焼けしてます。

昔はチョコパイ6個くらい、平気で食べることができたんですけどね。

年は取りたくないものです。

 

皆さまはどのようなバレンタインデーを過ごされたでしょうか。

チョコをあげた人、もらった人、私と同じように縁がなかった人、いろいろな方がいらっしゃることでしょう。

人によって過ごし方はさまざま、人生もいろいろということで。

 

でもさすがにもうチョコパイはツラいので、私は来年あたりからお茶を飲みながらお煎餅でもかじることにしましょうかね。

自分の加齢に合わせて過ごし方を変える、これも人類の知恵ですよね。

オブラートに包むのが苦手なアラフォーオヤジの苦しみ

私は「オブラートに包む」のが苦手です。

比喩的な意味ではありませんよ。

「粉薬をオブラートに包んで飲むのが苦手」なのです。

悪口をオブラートに包みまくって、相手に悪口と気付かせないように告げるのはむしろ得意です。

 

ちょっとした持病みたいなもので、一日三回は数種類の薬を飲まなければならないのですが、その中の一つが粉薬なんですよね。

本当は錠剤かカプセルがいいのですが、どうやらそのお薬は粉薬しかないみたいでして。

 

お医者さんに相談してみたら「カプセルに入れ直して飲むって方法もあるけど」と教えてくれたのですが、それなりの量がある粉薬をカプセルに入れ直すって……想像しただけでも面倒くさいです。

毎回毎回、粉薬をカプセルに入れ直す作業を何回も繰り返すとか、苦痛以外の何者でもありません。

私は不器用なので、絶対こぼす自信もありますし。

何より、薬代に加えてカプセル代も必要になってしまっては、ただでさえ寒い懐事情がさらに悪化してしまいます。

極寒の地シベリアです。

 

そんなことをお医者さんに切々と訴えました。

冤罪なのにお白洲に引き出されて、今にも打首獄門が決まりそうな町人なみに訴えた結果、告げられたのが「じゃあオブラートじゃない?」。

 

もうね、その時の私の心は「はいはい、出ましたねオブラート」ですよ。

子供の頃に何度か挑戦してみましたが、一度もうまくいったことがないんですよ。

そんな私に対して「オブラート」を提示されても「その手があったか!」にはならないんですよ。

 

でもまあ、文句ばかり言っていても始まりません。

ひょっとしたら大人になった今、やたらと粉薬をオブラートに包む技術が向上しているという可能性もゼロではありませんし。

何よりも安い(物によるとは思いますけど)ので、挑戦してみる価値はあるだろう、と。

 

そんな感じで、試してみたんですけどね。

まったくうまくいきませんでした。

まったく、うまく、いきませんでしたよ。

 

まず、オブラートの上に粉薬を出して、包むのが難しかったのです。

包もうとすると、こぼれるんですよ。

上手くできる人には信じられないかもしれませんが、そのくらい不器用なんですよ、私は。

 

そして焦っているうちに、手汗でオブラートが溶けますよね。

穴が空いたり、手にくっついたり。

そうすると粉薬がさらにこぼれるんですよ。

もう大惨事ですよ。

 

なんとか包めた分を、口に入れますよね。

できるだけ口の奥に入れようと思うんですが、オブラートのカサカサ感がなんかひっかかって、ワタワタしているうちに口の中で溶けたりするんですよ。

そうすると溶けたところから口の中に粉薬が漏れ出てくるんですよ。

もう地獄ですよ。

 

そんなわけで私は早々にオブラートを諦めました。

今は結局、できるだけ口の奥に粉薬を入れて、できるだけ口の中に薬が広がらないように多めの水で一気に流し込む、という手段を取っています。

超単純な方法です。

今まで「カプセル」だの「オブラート」だの言っていたのは何だったのか、と思えるほどごく普通の方法です。

無駄な時間を過ごした気分です。

 

その後いろいろと調べてみたところ、「薬を包みやすいカップ状のオブラート」とか「ゼリーで粉薬を包み込む服薬ゼリー」とかもある、ということを知ったのですが。

もういいや、という感じです。

これからも普通に飲みます。

時々失敗して苦しみますが、それはそれで諦めます。

 

しかし、もう粉薬と付き合って数年は経つのに、いまだに上手く飲めないという自分の不器用さがちょっと恐ろしいくらいです。

「嫌だ嫌だ」と思っているから、上手くいかないのかもしれません。

しばらく「好きな食べ物は、粉薬です!」くらいの気持ちで生きてみようかと思います。

そうすれば、いつか「粉薬マスター」と呼ばれるくらいの人間になれると信じて。

 

しかし、あんまり「クスリ、クスリ」と言っていると、ヤバい奴みたいですね。

ご時世的に。

「マイ箸」の存在は知っていたけれど先日の「マイ○○」は初めて見ました

先日、いつも通りフラフラと飲みに出ていました。

「たまには普段行かないお店に入ってみようかな」ということで、ちょっと地元から離れた場所にまで電車で揺られてお出かけ。

 

いつもは電車で通り過ぎるだけの駅に初めて降りてみました。

ここでテレビのお散歩ロケでしたら、いろいろなお店を探して彷徨するのでしょうが、私の目的地は居酒屋のみ。

ちょっと駅前をフラフラして、ちょっと路地に入ったところにあった赤提灯の光に惹かれてそのお店に。

 

平日でまだ早めの時間帯のためか、お客の入りはあまり……という感じ。

カウンター6席のうち2席が埋まっていましたが、これは間違いなく常連さんでしょう。

私も1人であることを店員さんに告げると、カウンターの1つに案内されたので大人しくそこへ着席し、「黒ホッピーあります?」。

 

幸いにも置いてあったので、ありがたくいただくことにしました。

ちょっとホッピーの冷えが甘かったですが、私は別に「こんな温いホッピーが飲めるか!」と激昂するようなグルメ人ではないのでそこはスルー。

適当におつまみを頼んで、本を読みながらのんびり過ごしていたんですが、しばらくして新たに入ってきたお客さんが私の隣に座りました。

 

スーツ姿なので会社帰りのサラリーマンでしょうか。

髪はかなり白いものが多い、当然私より人生の先輩の方です。

そのサラリーマン氏が通勤カバンの中からハンカチに包んだ何かを取り出して、カウンターの上に置いたんです。

ハンカチの中から出てきたのは、お猪口でした。

 

これはまさか……「マイお猪口」!

お店の人は慣れているようで、サラリーマン氏の前に熱燗の一合徳利を注文も聞かずに置いています。

サラリーマン氏は、徳利からマイお猪口に熱燗を注ぐと、美味しそうにクピクピと。

 

で、あんまりにも私が興味深そうに見ていたのがバレたのか、サラリーマン氏はこちらを見てにっこり。

「マイお猪口ですか、いいですねぇ」

敵対心は感じなかったので、私も思わず声をかけてしまいました。

 

そのまましばらくお話を聞いたのですが。

趣味で焼き物をやっていて、気に入ったお猪口ができたらどうしてもそれでお酒が飲みたいので、お店に頼んで持ち込みOKにしてもらったそうです。

別に飲食物を持ち込むわけじゃないんだから問題なさそうですが、ちゃんとお店に許可を取るところに「良い人」っぽさを感じます。

 

「何個かお気に入りのお猪口があって、毎朝どれを持っていくか考えるのが楽しいんですよ」

私も「はー、いいですねぇ」と答えるのですが、私はお猪口を持ち歩くのは趣味じゃないので真似はしないとは思います。

自分ではやらないだけで「いいですね」と思っていることは本当なんですけどね。

 

そもそも私が日本酒派ではないので、お猪口を持ち歩いても意味がないですし。

だからと言ってホッピー用のジョッキを持ち歩きたくはありません。

デカくて重いし。

 

そもそも私、日本酒を飲むなら徳利とお猪口がちゃんとセットとして統一されている方が好きなんですよね。

ガラスならガラス、焼き物なら焼き物、素材だけでなく、形とか色味とか、セットになっている方が好み。

 

マイお猪口では、どうやったって徳利との統一感が取れません。

両親の再婚で急に家族になってしまった思春期男女のようなよそよそしさを感じてしまいます。

いや、私にはそんな経験はありませんし、知識が漫画とかアニメ準拠なので現実に急に家族になった思春期男女の反応とか知りませんけど。

 

だから私がマイお猪口を持ち歩くとしたら、マイ徳利も持ち歩かなければならない、ということになります。

はっきり言って、邪魔で仕方がないことでしょう。

ただでさえカバンの中が読みかけの本やら資料やらパソコンやらでパンパンなのに。

 

というわけで私は真似はしませんが、どちらかと言えばマイ箸よりはマイお猪口の方が受け入れられますね。

なんかマイ箸って、周囲に対して「自然破壊がどうの」「地球環境がこうの」と言っているようなプレッシャーを感じるんですよね。

偏見も甚だしいですが。

 

その点、マイお猪口なら単純に「趣味!」という一言しか感じないので、こちらも素直に「あら素敵」と思えるわけです。

多分サラリーマン氏にとっては、いつものお店に入ってお気に入りのお猪口でお酒を飲むのが幸せなひと時なんだろうな、と。

そんな時間が持てる、ということは羨ましいな、と思うわけです。

「本音で話す」と言うけれど「本当に本音を伝えていいのか」と思わなくもない

「人と人とがわかりあうには、本音で話すことが重要」と聞きます。
まあそれは、一面の真実ではあるかもしれません。
本音をさらけ出さない人間に対しては「何か信用できない」とか「何を考えているのかわからない」というイメージが付くことがあるでしょう。

 

まあ、私のことなんですけどね。
私は自分が考えていることを表に出すのが、とても苦手です。
「下手なことを言ったら相手が不快になるのではないだろうか」「変なことを言って怒られるんじゃないだろうか」と考えてしまうことが多くて、自分の意見というものをなかなか言えない気質の持ち主なのです。

 

その結果、何か曖昧なことしか言えず、結果として「何を考えているのかわからない」と言われてしまうことがあるのです。

 

いや、会社の飲み会とかで「今日は無礼講だから、好きな事を言っていいんだぞ!」とか言われて、本当に好きな事を言ったら後日怒られる、みたいな笑い話があるじゃないですか。
その話を聞いて、外野は「馬鹿だな、本当の事を言うからだよ」と笑っていればいいですが、当事者にとってはたまったものではありませんよね。
自分がその当事者になりたくはないんですよ。

 

考えてもみてください、「本音で話してください」とか言われて「実はあなたの事、好きじゃないんですよ」とか言えます?
言えるとしたら、それは相当心の強い人間だと思うんです。
「好きじゃない」と言った人間とその後も以前と同様に付き合う、なんてことは私にはとてもじゃないですができそうにありません。
「言えるし、その後も同じように付き合えるよ」という方は、それはそれである意味「美徳」とも言えるかもしれませんので、それで良いと思います。

 

人の好き嫌いでなくても、仕事の上でもこういう事ってありますよね。
「いや、どう考えてもそりゃ無謀だろ」みたいな予測の元に仕事を進めようとする人とか「ちょっとこんな感じの予算とスケジュールなんですけども」と、「何だお前、私に時給50円くらいで仕事しろと言うのか」という無茶なことを言ってくる人とか。
……さすがに後者に対しては、私も「お前は何を言っているんだ」を何重にもオブラートに包んだ言い方で文句を言いますけどね。
前者の場合、私に被害が及ばなければスルーします。

 

まあ、このくらいわかりやすければ対応もしやすいんですが。
逆に「いや、これはどうなんだ……いけるのか、いけないのか?いけると言われればいける気もするし、ダメと言われたらダメな気もする」みたいな、微妙な提案をされたりすると、こちらも困るというものです。
「何だかいけそうな気がする~!」で笑えるエロ詩吟とは違うんですよ。

 

こういう時に「どう思う、正直に言ってみて」とか言われても、こっちも反応のしようがないんです。
しかもこういう場合、提案してきた本人も「いけるかな?いけないかな?」と態度がはっきりしていないことが多くて。
結果として「まあ、いっちょやってみっか」とドラゴンボールの主人公みたいな感じでやってみて、後日「やっぱりダメじゃねぇか、ぶっ殺すぞ!」とアイデンティティさんの物真似みたいなことになったりするんです。
……でも、こういう場合で進めた仕事が、結果としてうまくいく、ということも皆無ではないのがまた難しい問題ですよね。

 

「とりあえずやってみる」という行為は、悪いことではないんですよ。
この社会で成功する人のほとんどが、この「とりあえずやってみる」を実践する行動力の持ち主なわけですし。
そういう意味では、私なんかはこの行動力に欠ける部分が多すぎて、まず成功はしそうにない人間ですね。
細かいことを気にしすぎるのは、良くないんでしょうけど、こればっかりは性格ですからねぇ。

 

何だか「本音で話す」という、書き出した当初のテーマとは全然違う方向に話が進んでしまいましたが。
こういう行き当たりばったりな書き方をしているから「何を考えているのかわからない」と言われてしまうのかもしれません。
ちょっと反省。

しばらくブログをお休みしてみました

ちょっと家のインターネット回線が不調を来たしました。
簡単に言うと、ルーターがお亡くなりになってしまいました。

長年に渡って頑張ってくれたルーターさんなので、寿命というものでしょう。
だから恨み言を言うつもりはないのですが、あまりにも突然の別れだったためちょっと困ったことは事実です。
せめて「もう……無理です……」と告げてくれる機能があれば、別れに備えて新たなルーターさんをお迎えする準備もできたんですけどね。
ちょっといろいろと立て込んでいて、ルーターさんを買いに出掛ける時間もなくて。
ようやく先ほど購入してきて、ネットが復活したところです。

まあ、仕事的には先方の会社にお出掛けしていろいろごちゃごちゃやる、という感じだったので、自宅でネットが使えなくても困らない状況だったのが幸いでしたが。
困ったのはブログの更新です。
さすがにお出掛け先の会社のパソコンから自分のブログを更新するような根性と図々しさは持ち合わせておりませんので。

茶店とか行けば、フリー回線とかも使えるんでしょうけど。
ブログの更新のためだけに、作業の合間を縫って喫茶店に行く、というのもねぇ。
ぶっちゃけ一円の儲けにもならないブログのために、そこまで一生懸命になれない、というのが正直なところでもあります。

というわけで、ちょっとブログはお休みすることにしました。
実際、このままダラダラと何の得にもならないブログを続けていていいのだろうか?という思いが芽生え始めていまして。
一度、ここでちゃんとブログとの関わり方を考え直してみてもいいかな、と思ったのです。

でも、こうやってネット環境が復活した途端に書き出しているのですから、あながちこのブログのことがもう面倒くさくなっている、ということもなさそうな感じです。
やっぱり、どうでもいいことをつらつらと書き連ねる、ということ自体は好きなんですよね。
ただ最近は「ブログを書こう書こう」という気持ちが強くなりすぎていて、あまり「息抜き」という感じではなくなってしまっていたのかもしれません。
書いても書かなくても、私にも他の誰かにも特に影響はないというのに、不思議なものです。

こうやってブログを書いているからこそ言えますが、ひょっとしたらこのまま更新を止めてフェードアウトしていた、という可能性もあるわけで。
「ブログは始めるのは簡単だけれども、継続するのは難しい」とはよく言われることですが、その言葉が私自身にも降りかかってきて「ああ、本当だなぁ」としみじみ痛感した次第であります。

というわけで、もしかしたら今後は更新頻度が減るかもしれないな、とちょっと思ってもいます。
何事も無理をしてはいかんよな、という気持ちにもなっていますので。
今後は「何か書こうかな」と思った時だけの更新になるかもしれないな、と。

とか何とか言っておいて、やっぱり毎日のように「さて、何か書くか」という気持ちになる可能性も否定はできないので。
今後、このブログがどうなるかは誰にもわからないということですね。

そして今気付きました。
スマホテザリング機能使って更新すればよかったんじゃね?」ということに。
今まで一回も試してみたことがなかったので、思い付かなかった……。

家のネットがつながらなくなった時点で諦めていたのが良くなかったですね。
便利な社会になっても、それを使う人間がポンコツなら意味がない、ということです。
情けない話ですな。

まあ、今回はまた一つ勉強になった、ということで。
うーん、でもしばらくはルーターさんも元気だろうし(買い換えたばかりでまた不調になったらそれはそれで問題だし)、また壊れる頃にはテザリングのことを忘れている予感がしなくもありません。

アラフォーオヤジの脳の容量は、それほど多くはないという哀しい結論。

気付いたら節分が終わっていたけれど特に何の問題もなかった

昨日、2月3日って節分だったらしいんですよ。

皆さん知ってました?

私は完全に忘れていました。

 

いや、夜になってスーパーに買い物に行った時、豆とか鬼のお面とかがちょっと目立つところに置かれているな、とは思ったんです。

でも、スーパーって当日じゃなくて、かなり前からイベント事の関連商品を置いているじゃないですか。

だから、それの一環かと思って、まさか節分当日だとは思わなかったんですよね。

 

あ、恵方巻とか見掛けていたら、さすがに気付いていたかもしれません。

でも、お寿司売り場とかお弁当売り場も覗いたんですが、一本もなかったですね。

閉店前だったからかもしれませんが、恵方巻の売れ残りが「無駄」と騒ぎになるご時世ですから、スーパーの方も量は控えめにしたのかもしれませんね。

 

まあ、気付かなかったところで、何の問題もないんですが。

別に豆まきしたかったわけでもないですし。

豆まきなんかして、ただでさえ汚い部屋をより汚くしてどうするのか、って話ですわ。

 

そうそう、豆まきと言えば「鬼は外、福は内」という掛け声ですが、「鬼は外」ではなく「鬼は内」という掛け声で豆まきする地域もけっこうあるみたいですね。

地名に「鬼」が付く場所とか、2匹の鬼、前鬼と後鬼を使役したと言われる修験者・役小角に縁がある場所とか、そういう場所で「鬼も優しく迎え入れてあげよう」という考え方が多いようです。

鬼たちにもそういう避難場所があると思うと、私たちは安心して我が家から鬼を追い出すことができますね!

まあ、そもそも豆まきしないので鬼を追い出すもなにもないんですけど。

 

あ、でも子供の頃、節分の時にふざけて「鬼は内!」と叫んだ家に不幸が訪れた、みたいな怪談話を読んだんだか聞いたんだかしたことがありますね。

鬼、意外とヤバいな……。

あんまり甘く見ちゃいけませんね。

 

まあ、こんな風に知らない間に節分が過ぎ去っていたことに気付いたのも、今日スーパーに醤油を買いに行って、すでに店内に「ひなあられ」とかが並んでいたからなんですけどね。

だから早いって。

もう少し、節分の余韻に浸らせてくれてもよくないですかね。

節分の余韻とか、自分でも何を言っているんだかよくわかりませんけど。

 

まあ、「もうすぐひな祭りだから、ひなあられ買わなくちゃね」という人が存在することは確かでしょう。

でも、そういう人だってさすがに一カ月前からひなあられを買ったりはしないと思うんですよ。

せいぜい2週間前でいいんじゃないですかね。

 

そもそも、まだ2月は終わっていないんです。

そう、ひな祭りの前に、一つ重大なイベントがあるのですよ。

「バレンタインデー」というね……。

 

まあ、私には関係ないんですけどね。

よく「母親と保険の外交員さんからしかチョコもらえなかったよ~」みたいな笑い話を聞くんですが。

私なんか実家から離れていますし、保険もちゃんとしたのには入っていないので外交員さんとも関わりはないし。

 

仕方ないので、自分でロッテの「チョコパイ」でも買って食べますよ。

6個入りの奴を一箱買って、一気に全部食べるんです。

飲み物は牛乳。

これがここ数年のバレンタインデーの過ごし方ですかねぇ。

 

あ、私大酒飲みですけど、甘いものも大好きなんですよ。

油断すると糖尿病一直線なんで、普段は甘いものは控えているんですけどね。

 

思い出したらバレンタインデー、楽しみになってきました。

早くチョコパイ食べたいな。

 

あれ、なんか自分で書いていてすごくかわいそうなアラフォーオヤジみたいになってますけど、気のせいですよね?

食べ物を落とした時の「3秒ルール」の話って定期的に出てきますよね

「何か面白いことないかな」と思ってニュースサイトを眺めていたら、「3秒ルールって本当?」という記事がアップされていました。

こういう記事、定期的に上がりますよね。

そしてその度に「3秒ルールには科学的根拠はない」という話になりますよね。

 

まあ、今は新型コロナウイルスが猛威を振るいつつある、というタイミングですから、こういう話を気にする人も多いタイミングなのでしょう。

最初は「中国国内だけの問題」みたいな雰囲気でしたが、もうすでにそんな感じでもありませんし。

日本で普通に過ごしていても、新型コロナウイルスに感染する可能性がゼロとは言えなくなった状況では、誰もが神経質になるでしょうし、神経質になるべきだ、とも言えましょう。

 

ちなみに私は「3秒ルール」はあまり気にしたことがありません。

「床に落とした時点でアウト」と考えているわけではなく、「落とした時点で菌は付くものは付くだろうから、秒数とか関係なく食べられそうなら食べる」タイプです。

衛生観念がガバガバ、ということですね。

さすがにホコリまみれの床とか、泥の上とかに落とした場合は諦めますが。

 

特にお酒を飲んでいる時なんかは、「お腹の中でアルコール消毒されるだろ」くらいの気持ちです。

酔っていて細かいことは気にしなくなるだけかもしれません。

 

まあ、落とした秒数とか関係なく、床がどのくらい汚れているのかが重要だろう、ということですな。

もし床に落とした食べ物に新型コロナウイルスが付着するような場所だとしたら、それはもう床に落とすうんぬんの問題ではなく、もうその場所に自分がいる時点で感染の危険はあるわけですし。

そう考えると、あまり細かいことを気にしてもどうしようもないだろう、と思うわけです。

 

ちなみに日本では「3秒ルール」が主流ですが、欧米では「5秒ルール」が主流だそうです。

日本人に比べ、欧米の人の方がおおらかだ、ということでしょうか。

人種の違いだけで考え方も違う、と考えるのはあまり適当ではないと思いますが。

日本も欧米も「昔からそう言われている」という事実があるだけでしょうし、人によって考え方が違って当然ですからね。

 

「3秒」だろうが「5秒」だろうが、お腹を壊す時には壊すし平気な時は平気なわけです。

「科学的根拠はない」という話が定期的に出てくるにも関わらず、なぜこの「3秒ルール」「5秒ルール」が根強く残っているかと言えば、やっぱりただ単に「落としたけどもったいないから食べたい」という気持ちだと思うんですよね。

もったいないから食べたいけれど、落としたものを食べることには少し不安があるわけです。

だから「〇秒以内なら大丈夫」というルールを使うことで、落としたものを食べることへの後ろめたさに対する免罪符としているのだろう、と。

 

とにかく、落とした食べ物を食べても大丈夫でいられるかどうかは、そもそもその人間の抵抗力が高いか低いか、の話なわけです。

そして抵抗力を高めるには、規則正しい生活と適度な運動などによって、健康的な生活を送ることが一番、という結論に達するわけですよ。

規則正しい生活も適度な運動もしていない私が言っても、説得力は皆無かもしれませんが。

 

ちなみに「この〇秒ルールって、いつぐらいから言われているんだろう」ということが気になってちょっと調べてみたところ。

モンゴル帝国の皇帝チンギス・ハーンが12時間ルールというものを定めていた」という話が出てきました。

「3秒」「5秒」でああだこうだ言っていたのが馬鹿馬鹿しくなるようなスケールの大きさですね。

 

いや、もう「12時間」とか、「菌が付くか付かないか」ではなくて「腐っているかいないか」レベルの話になると思うんですけど。

そもそも12時間も食べ物が落ちていて、気付かないなどということがあるのかどうかも疑問です。

 

というわけで、この「12時間ルール」が「3秒ルール」の起源であるとは全然言えないとは思うのですが。

ちょっと面白かったので紹介してみました。