zatubunsya’s blog

アラフォーオヤジが何か考えたことを考えたままに書き連ねさせていただいております。

JR新宿駅の人身事故現場をスマホで撮影しようとする意味がわからない

2日、JR新宿駅ホームで人身事故が起こりました。

こういう場合、現場は野次馬の視線をシャットダウンするために、ブルーシートで覆われます。

そのブルーシートの中で、駅員さんたちは救出作業をするわけです。

凄惨な現場を他のお客さんに見せないようにするのと同時に、被害に遭った方のプライバシーなどを守るために必要な処置、と言えるでしょう。

 

当然、2日の事故でも同様の処置が取られたのですが、ブルーシートの隙間からスマホを差し込んで、事故現場を撮影しようとした乗客が複数現れたそうです。

結果、駅員さんが「お客様のモラルに問います。スマホでの撮影はご遠慮ください」というアナウンスをホームに流すことになった、とのこと。

 

いやいや、本当に驚き呆れる、としか言いようのない話です。

そもそも、事故現場をスマホで撮影して、どうしようと言うのでしょうか。

なにかの記念になる、とでも考えているのでしょうか。

周囲の友人に見せれば盛り上がる、とでも思っているのでしょうか。

正直、私には理解ができません。

 

もし私の友人が「こんな写真を撮った」と見せてくるようなことがあったら、私は思い切り説教することでしょう。

人として恥ずかしいような行動をする、というのも許しがたいですが、何よりもこの私がそんな写真を見て喜ぶような人間だ、と思っていること自体が許しがたいからです。

写真を撮る人間も最低ですが、その写真を見て喜ぶ人間も最低だと思うのですよ。

 

しかし、デジカメや携帯電話の発達と共に誰もが気軽にカメラを持ち歩けるようになったのは良いことなのですが、こういう弊害も出てくるのは困ったものです。

この新宿駅の例以外にも、事故現場や事件現場を撮影する人間や、有名人などを盗撮する人間が顰蹙を買う、という話も数多く聞きますし。

テレビのロケで街中にいる芸能人を周囲で取り囲む一般人が、一斉にスマホを向けている場面を見るたびに違和感のようなものを感じてしまいます。

 

いや、手軽に写真を撮影できるのだから撮影する、という気持ちはわからなくはないのですよ。

なんでもかんでも写真に撮って思い出として残しておこう、という人間にとっては、私の感じている違和感のようなもの、は理解できないものでしょうし。

そもそも私が写真をまったく撮影しない人間なので、写真を撮る人間の気持ちはわかっているようで本質の部分はわかっていないのかもしれません。

スマホは持っていますが、カメラ機能はQRコードの読み取りと資料を撮影する時にしか使わない人間ですので。

 

しかし、この違和感、こういう事故現場だの芸能人のロケ現場だのといった場面以外でも感じることがあります。

私は時折、イベントやトークショーなどに出掛けるのですが、撮影OKの場合、ずっとカメラやスマホを向けている人がそれなりの数いるのです。

結果、そういう人たちはスマホやカメラの画面ばかり見ているわけで。

せっかく現地に来ているのですから、画面越しではなく、自分の目で、耳で現地の雰囲気を楽しむべきだと思うのですが。

 

イベントではなく、観光地でも同じことが言えるかもしれません。

自分の目で見ない、自分の耳で聞かない、残っているのはカメラの中のデータだけ、というのでは、テレビ画面を通して見ているのと何ら変わらないような気がします。

そこにあるのは「思い出」ではなく、ただ単に「現地に行った」という記録だけではないでしょうか。

 

写真を撮るな、と言っているのではありませんよ。

記憶だけだと微妙に変質したり、忘れたりするものですから、それを補完する意味で写真を撮っておく、というのは必要でしょう。

ただ、写真を撮ることが主となってしまい、自分の目や耳で思い出を残すことが従となってしまうのは、少し寂しいのではないかな、と思うのです。