「血液クレンジング」正直、やりたい人はやればいいんじゃないのと思う
ここ数日、ネット上で「血液クレンジング」という言葉をよく見かけます。
「効果はない」とか「ニセ医学」とか言われ、ブログなどで体験談などを書いた芸能人が「ニセ医学を拡散するのか!」と責められているようです。
正直、血液クレンジングという言葉を聞いての第一印象は「なんだそれ」という印象しか受けませんでした。
クレンジングという言葉自体、「なんか化粧品とかの宣伝で聞いたことがあるな」というくらいの知識しかないためです。
日常的に化粧をしないアラフォーオヤジとしては、そこは仕方がないと思ってください。
そのため、まず「クレンジング」という言葉の意味を調べてみました。
「汚れを落とすこと。浄化すること。」
「化粧を落とすこと。化粧を落とすクレンジングクリーム、クレンジングローションなどの化粧品の総称。化粧落とし。」
(goo国語辞書より)
調べてみたところで、「なんだそれ」という印象は変わることは特にありません。
「血液」と「クレンジング」、どうにもこの2つがうまく頭の中で結び付かないのです。
単純に考えると、「血液を浄化する」ということでしょうか。
そこで「血液クレンジング」がどのような行為なのかを調べてみますと。
「100㏄ほどの血液を抜き、その血液にオゾンガスを混入し、オゾン化した血液を身体の中に戻す」
……なるほど、わからない。
と言うか、単純に怖いです。
「そんなことをして大丈夫なの?」という思いが拭えません。
思い出したのは漫画「アカギ」で、鷲巣の「吸血麻雀」に挑む前に主人公のアカギが「数日前にあらかじめ自分の血液を抜いておき、勝負直前に輸血する=血液の量が増えるので多少抜かれても大丈夫」というシーンでした。
このシーンを見た時も、「そんなことできるの?」と思いましたが、さらに血液クレンジングは抜いた血液をオゾン化する、という作業までしているわけですから。
ますます「大丈夫なの?」感が増します。
そもそも、人間の血液量は体重の約13分の1、とのこと。
体重60㎏の人間でしたら、単純計算で血液量は4.6Lとなります。
そこから100㏄くらい抜き取って綺麗にしたとしても、身体の中に戻してしまえば全体として大して変わらないのではないでしょうか。
批判している方々からすれば、そもそも「効果はまったくない」とのことなので、量のことを論じる自体が無意味かもしれませんが。
そんな感じで、私自身は血液クレンジング、受けてみたいとかまったく思いません。
血液を綺麗にしたいのであれば、暴飲暴食を控え、栄養のバランスを考えた食事をした方が根本的に効果があるのではないか、と思うからです。
ただ、食事を変えて血液を綺麗にする、という行為は時間もかかれば手間もかかりますので、「もっと簡単に血液を綺麗にしたい!」と考える人がいるのもわかります。
そういう人が血液クレンジングに手を出す、ということは本人の勝手かな、と。
ただし、結果として効果がないことに文句を言ったり、それ以上の重大な事故が起こったりしても、同情する気にはなれませんが。
本来ならばもちろん、こういった「ニセ医学」的なものは根絶してもらいたい、という気持ちはありますが、効果を信じて試してしまう人間がいる以上、それも難しいことでしょう。
実際には効果がなくても、心理的な思い込みから身体が改善してしまう「プラセボ効果」が存在する限り、どんな治療法も「絶対に効果がない!」と断罪することは不可能に近いからです。
一人一人が考え、調べ、自分の責任で行為を受ける、受けないを決めるしかないんですよね。
なんだかあやふやな言い方になってしまうのには理由がありまして。
私の知人に、すい臓がんで亡くなった人がいます。
病気が判明した時にはすでに手遅れ、半年ほどで亡くなってしまいました。
その人に最後に会った時、何やらピカピカ光る棒を身体に当てて「これでがんが治るんだよ」と笑顔で言っていたのです。
私からすれば「そんなものに効果があるはずがない」のですが、死を目前にした本人が最後の希望としてその方法を信じているのであれば、否定的なことなど、言えるはずがないではありませんか。
本人がその方法を信じて心安らかでいられるのであれば、それも一つの精神的なケアになるのではないか、と思うのです。
もちろん、そんな方法を患者に勧めることで大金を稼いでいるような医者には、大きな怒りを感じます。
怒りを感じるんですけれども……本当に、本当に難しいところです。