カツサンドにキャベツを挟むか挟まないか問題
サンドイッチの中ではカツサンドが王者だと思っています。
カツが「我は肉なり!」と強く自己主張してきて、さらにソースが「この俺の力も貸してやろう……」とカツをさらに味わい深くし、さらにさらにパンという美しき姫のような存在が、ともすれば強くなりすぎるカツを優しく包み込んで味を一体化させる、まさに最強の存在です。
でも、これが「カツおにぎり」だと、なんだか違う気がするんですよね。
ご飯はご飯でカツのソースと合うんですが、なんかご飯はカツの美味しさ、ソースの美味しさを吸収して、自分が美味しくなろうという野心を感じるのです。
パンはもう少し控えめな存在、パンは優しいと思います。
……わかってくれる人、いますかね。
「こいつ、何言ってるんだろう」と思われるのではないか、という不安が拭えません。
まあ、それはそれとして。
私は今までの話の中で、とあるものの存在をあえて無視していました。
そのものの名は、キャベツ。
そう、私はカツサンドにキャベツが挟まっているのが、はっきり言って嫌いなのです。
なんか、キャベツから水分が滲み出て、カツやパンがしっとりしてしまう気がして嫌なんですよね。
逆に、水分を吸われた方のキャベツは妙にしなしなになって、本来のシャキシャキ感を失っている気がします。
カツサンドを齧って、噛み切った断面から千切りキャベツがぷら〜んとはみ出ている姿を見ると、「君はこんなところで何をしているんだい?」と哀しい気持ちになるのです。
無理はするな、と。
カツとソースとパンに任せて、キャベツは引っ込んでいろ、と。
キャベツを挟むくらいだったら、もっとカラシを効かせて大人の味にしてください、と。
子供が間違って食べたら大変だって?
そんなことは知らんですよ。
あと、丼物でご飯の上に直接キャベツだのレタスだの、葉っぱ類を乗せるのも大嫌いです。
野菜から水分が出て、ご飯がビチャビチャになるだろうが、と。
別盛りのサラダとして出してくれるならありがたいですが、なぜ一緒にしてしまうのか、と。
特に意味がわからないのが、ソースカツ丼のキャベツです。
ご飯とカツの間に「挟まれてますけど、何か問題が?」みたいな顔で存在していますが、見るたびに「お前は何のためにそこにいる?」と思います。
だって、カツとご飯に挟まれてシナシナ〜っとなっているじゃないですか。
シャキシャキのキャベツ、美味しいです。
キャベツ炒めとか、しっかり火を通したキャベツ、美味しいです。
でもただご飯とカツの熱気でしなしなとなったキャベツ、美味しくないです。
歯ごたえがあるわけでも、甘みが出るわけでもない。
さらに言えば、カツのソースがご飯に染み込むことを、無駄に邪魔します。
ソースが染み込んだカツをご飯と一緒に食べればいい、とも思いますが、直接ソースの染み込んだご飯というのは、また違った味わいを持っているものです。
さらに、ご飯の量がちょっと多くて、このままではカツをすべて消費してもご飯が余ってしまう!という緊急事態には、ソースが染み込んだご飯を食べて量を調整する、という重大な役目を果たします。
考えれば考えるほど、丼の上のキャベツって邪魔者以外の何者でもありません。
こっちはカツとご飯を味わいたいのに、勝手に口の中に入ってくるのにも腹が立ちます。
本当に、君は何でそこに乗ってしまったんだい?
私は決してキャベツ嫌いなわけではありません。
トンカツ定食とかを食べる場合には、むしろキャベツの存在は必須とも言えます。
この歳になると、どうしても脂っこい食事を摂ると胸焼けなどの危険がありますが、キャベツはその症状を和らげてくれます。
串カツ屋のお通しがキャベツであることが多いのも、そう言った理由からです。
ただ、適材適所というものがあるだろう、と。
独立していても良い仕事をするのだから、無理に一体化しようとするな、と。
キャベツよ、そろそろ己の道を行くべき時が来たのではないですかね?