「あけましておめでとう」と言って「喪中なんで」と返されることの面倒臭さ
皆さま、あけましておめでとうございます。
本年度もよろしくお願いいたします。
一応「日本のお正月」的なノルマは済ませておきたいと思います。
いや、宣言通り朝から結構な量、アルコールを摂取してしまいましてね。
酔っ払っているし、ブログの更新もお休みしようかなー、なんてチラッと考えたりもしたのですが。
でもやっぱり、元日から書かないと今年一年あんまり更新しないような気もしましてね。
「一年の計は元旦にあり」とも言いますし、短文でもいいから更新しておこうかな、と考え直しました。
ちゃんとした内容を書こうとしているわけでもあるまいし、酔っ払っていたところで何の問題もありませんわな。
あ、本日のタイトルは、私が昔会社勤めをしている時に、他部署の後輩から言われた一言の経験からです。
「ああ、そうなんだ」と返しましたが。
お前が喪中かどうかなんぞ、知らんがな。
喪中のハガキが来ていたとか、メールでそういう連絡が来ていたとか、それだったらこちらが悪いでしょう。
でも、何の連絡もないのに「喪中なんだから気を遣えよ」みたいなこと言われてもねぇ。
こっちはエスパーじゃないんだよ。
そんなこと言われたら、新年のあいさつを「あけましておめでとう」じゃなくて「喪中ですか?」に変えるしかなくなりますわ。
お互いに喪中かどうかを確認しあって「あけましておめでとう」というシステム。
これなら相手が喪中でも、万が一にも失礼はありません。
おめでたさは半減くらいしている気はしますけど。
こんなこと書いておいてアレなんですけど、そもそも正月って何がおめでたいんでしょうかね?
昔から「あけましておめでとう」と言ってきましたが、よく考えてみればとにかく「正月=めでたい」という方程式だけで、なんで正月がめでたいのか、考えたこともありませんでした。
気になったからには、調べてみないと落ち着きません。
そんなことでチャチャッと調べてみたところ。
「正月には年神様が来るからめでたいのである」
そういう答えが得られました。
所要時間10秒足らず。
ありがとうGoogle先生。
この年神様とは何かと言うと、「家に豊作や幸いをもたらす神様である」と。
玄関の門松は「年神様に来てもらうため」、鏡餅は「年神様にお供えするもの」、しめ縄は「年神様以外の悪神が入ってこないようにするため」というように、何の気なしに見ていた数々の正月アイテムにも意味があったのです。
しかも全部「年神様のため」。
まさに「都民ファースト」ならぬ「年神ファースト」。
まあ、幸せをもたらしてくれる年神様ですから、優先されるのも理解できなくはありませんが。
でも、ならば喪中で正月飾りを飾らない家には、年神様は来てくれないのか?という疑問も生じました。
まあ多分、目立たないようにひっそりと来てくれているのだ、と思いたいです。
もし来てくれないとしたら、人は死ぬわ幸せも来ないわ、でどうにもやってられませんものね。
表立って祝うことはできなくても、ひっそりとやって来て幸せを授けてくれる。
神様にはそのくらいの寛容性があってもいいと思います。
思わぬところで新しいことを勉強させてもらいました。
やっぱり元日からブログ書いてみて良かったです。
「あけましておめでとう」を「喪中なんで」と返すことは「面倒臭い奴だな」という評価が覆ることはありませんけど。
今年もこんな感じで、適当に思ったことをダラダラ書き綴ろうかと思っています。
よろしければお付き合いくださいませ。