「働くこと」に対する意識の違いって意外と面白いなと思う
突然ですが、私は仕事をしています。
働いています。
働く理由は、まずは生活費を手に入れるため。
そして、とにかく何か面白いことをしたいためです。
そんな私も、一時期思い悩んだことがありました。
「人はなんで働くのだろう」と。
一番の答えとしてはもちろん、生活費を手に入れるためなのです。
ですが、そのためにこの世界に住む人がみんな、社会に出たら就職して働く、それを当然のこととして受け入れているという事実が、なんだか不思議なことのように感じられてしまったのです。
特に「働きたくはないけれど、働くのが当然だから」と言って、嫌な仕事、やりたくない仕事でも従事している、この「当然だから」という感覚がイマイチ理解できなかったんですよね。
ただ単に「若かったから」だったらそれで話は終わりますが、いまだにこの「当然だから」に対する違和感というものは根深く心の中に残っているんですよね。
お風呂場に発生する頑固なカビのように。
そうだ、そろそろ久し振りにお風呂も大掃除しなきゃな。
排水口もしばらく放置しているし、詰まる前に掃除しないと。
話が逸れました。
とにかく「働くのが当然」という感覚に違和感があるのですよ。
働きたくないのであれば、働かなくてもなんとか生きていける、という世界があってもいいんじゃないか、と思うのです。
別に私が働きたくない人間、というわけではないんですけどね。
現状は幸いにもやりたくない仕事をやらなくてもいい環境ですし、お金が余るほどではありませんが毎晩居酒屋で軽くお酒を飲むことはできるくらいの状況ですし。
まあ、老後の蓄えとかはほぼありませんけど。
そんな話を他人とすると、同意してもらえることもあれば、それは違うんじゃないの、みたいな話になることもあります。
違うんじゃないの派の人からすると、まず働くことに意味がある、と。
お金や、やりたいやりたくないは別にして、まずは働くことで人生が充実する、と。
別にこの意見に異を唱えるつもりはありません。
まあ、そういうものかもな、と思います。
私なんかは、万が一今後一生働かなくてすむくらいのお金が手に入ったら、仕事なんてしないで寝て暮らしたいタイプです。
しかし、働くことに意味があるという人は、もし大金が手に入っても仕事は続ける、とのことでした。
働かないと人としてダメになるような気がするそうです。
働かないと人としてダメになる、という感覚も、ちょっと私にはよくわかりません。
これは、私が「働いていようがいまいがダメな奴はダメだし、ちゃんとしてる奴はちゃんとしてる」と考えているためでしょうか。
まあ、ぶっちゃけどちらの意見が正しいとか正しくないとか、そういう問題の話題ではありませんし。
そもそもお酒を飲みながらダラダラと、実際に手に入るわけでもない「大金が手に入ったら」なんて話を嬉々としてしている時点でみんなダメ、とも言えます。
ただ、こういう人による意識の違いって面白いなと思った、というだけの話でした。